2013年

6月

25日

2013年06月27日(木) №53 『 増補版 牧師室便り №15号 』

2013年06月23日 牧師室便り №15 増補版

               稚内教会 牧師 森 言一郎(もり げんいちろう)

 

朝散歩によく行く足が向かうのは“南小の森”に向かうテニスコートへの道だ。今、すごい数のウグイスの歌声が響き渡っている。

 

あっちからも、こっちからも「ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ・・・・」「ホー ホケキョ」とさえずる声が響き渡る。まるでコンテストが開かれているかのようなのだ。

 

このあたり、えぞ鹿が群れをなしてやって来ることもある。熊は・・・まだ見ない。たぶんここには居ないのではと思いたいが、どうなのだろう。向き合うのは御免被りたいですな。ほんまに。

 

夜は夜で、牧師館の山手の方からは、小鳥たちの何か少し自慢げなさえずりが聞こえる。妻がネットで調べて見ると、どうも、“アカハラ”というサハリンに多くいる小鳥か、“夜鳴きウグイス(ナイチンゲール)”のようだ。

 

ただし、家の中に居ての聞こえ工合は、と言うと、実は、わたしの耳にはあまり聞こえてこない。妻は、「ほら、またないとうやろ」と言うが、難聴傾向があるわたしの耳には、ある高さからなのか、大きさなのか、聞こえないのだ。

 

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発行できたらいいだろうなぁと思っていた教会の文集。『あしあと』と名付けて誕生した。とても嬉しい。すでにホームページでも少しずつ公開し始めている。

 

これはまた、教会の皆さんからの福音の発信になるはず。毎月の会報、あるいは、季刊のでもそうだが、とても今の稚内教会の体力では発行出来ないと思う。そして、たとえ大きな教会が発行を続けているとしても、意外にその読者は読み飛ばしたり、なくしたりと、ある意味ぞんざいに扱われるのではないか。

 

というわけで、年に一度の文集発行が、ちょうど好い加減かなぁというのが実感。さっそく来会された方にもプレゼント出来るようになった。

 

じっくりと分かち合いが出来る文集は、教会の内側での伝道の力を持ち合わせている。そして、何度でも読み直したくなるもの。実に味わい深い。来年も頑張りたいなと思う。ほんとに、なかなかいいものだと感じている。

 

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利尻昆布バザーが始まってから2ヶ月が過ぎようとしている。

 

良質なコンブがお求めやすい価格で、しかも、美しいパッケージに包まれていて好評。今、品切れ状態だ。何しろ、こんぶのいろはを知らない所から始まっているのだから、致し方ない。

 

とは言え、今後は、生産というか販売というか、その能力に合わせてこんぶの仕入れをしっかりと考えないと行けない。袋詰めされたものを転売しているわけではないので、教会内部の作業能力も課題。力を合わせて多くの方が関わると確実に効率が上がる。

 

それにしても神さまのお導き!としか思えないような好運が重なり、道が拓かれた。文集もそうなのだが、おそらく、こんなに早くこんぶの販売を始められるなんて、誰も考えもしなかったと思う。追風は神さまからのもの。

 

親しい方たちからも、協力するよ、の声が届く。こういう形での“共に”・“たがいに”は、目に見えない力を貰えるなと実感する。

 

そして、地元産物を通しての利尻昆布バザーはみんなの誇りなのだと思う。教会内にも新しい風を感じるし、仲間の牧師たちからも「いいアイディアじゃないこういうのは・・・」との声が聞こえてくる。そう、良いことを始めているのだ。

 

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今年も7月8日から稚内ではこんぶ漁が始まる(漁期があるなんて去年まで思いもしなかったのだが)。

 

9月の末迄続くそうだが、お世話になっている漁師さんの話をじっくり聴いていると、勝負は2-3週間の様子。海に入ることが出来るのは漁業権を与えられている漁師さんだけのようだ。

 

50年くらい前迄は、2千人近くの漁師さんが居たのに、今では、200人位だと確か言われたと思う。みんながこんぶ漁をするわけではないにせよ、ずいぶん、漁師さんが減っている。こんぶの質の変化も漁師さんは、温暖化が影響しているとも言っておられた。

 

今年は「これは教会さんへ」というお気持ちを持ちながら海に入って下さることもあるのだろう。有り難いことだ。

 

6月は当地のウニ漁の季節だった。ウニは利尻昆布を食べて成長するそうだ。こんぶに所々穴があるのは、ウニがかぶり付いたからだとも聞く。だから、あのウニのおいしさにも“納得”できるというわけだ。

 

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関東地方の田舎の教会で伝道牧会する、気骨があって頼りになる先輩が「そういうことを応援する伝道をと思っていた。続けて行くことが大切だね」と助言し、注文を下さった。本当にその通り。8月中旬からの新たな出荷が楽しみだ。

 

われらの利尻昆布がどんな風に手に渡り、味わって頂けるのか。ハガキでも入れておいて、ご意見・ご感想を聞かせて頂くことも必要かも知れない。

 

苫小牧地区の島松伝道所・辻中明子牧師と教区の宣教研究委員会で顔を合わた。島松伝道所は、10年近く全国に向けて野菜販売をしている、その道での先輩教会だ。情報交換の話も弾んだ。

 

明子さんの「夫と何やってるんだろうねぇ(他のことを時にそっちのけで、という意味だろうと想像)と話ながらやってますよー」の声に少し安心。

 

わたしも、妻と二人で、日曜日の遅くまで、こんぶ絡みで作業をしていると、ふいにおかしさが込み上げてくることがある。ある友が、“こんぶ牧師”に手作りのエプロンを準備してくれている。現在仮縫い中だ。

 

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最北観光が本番、稚内公園にはどっと300人。地元紙『稚内プレス』の6/15(土)号の見出しが出ていた。

 

3千人ではなく300人という所が可愛らしいのだが、観光バスの応援の為に、わたしたち夫婦の故郷九州からバスが来るというのは不思議な巡り合わせ。しかも、妻が幼い頃から親しんできたバス会社の車らしい。

 

なんとも愉快な気持ちになるではないか。

 

少しショックな数字も目に入って来る。3月末の宗谷管内の人口集計が前年比で発表されたのだが、「1年間で683人減」とあるではないか。毎月の『稚内市報』で人口の推移にはいつも注目しているが、3万人割れが現実のものとなりつつある。

 

そんな新聞記事を見た後、北海教区の委員会でご一緒した倶知安伝道所の坂口孝牧師が「倶知安町には高齢者問題がありません。除雪が出来なくなる前に、みんな札幌に引っ越すから」とお話しされていた。

 

その言葉、そして、稚内プレスの記事がグルグルと頭の中を回る。

 

日本には約1%のクリスチャンが居ると言われることがある。もしかすると、0.5ではないかと思うこともあるが。仮に1%だとすると、キリスト教に前向きな関心をもっておられる方が、稚内でも370人位はお隠れになっているのかと想像する。

 

教会ホームページやこのBlogも含めてのつたない発信を、わたしは、現代のチラシ配りだと心得ている。チラシを受け取ってくれる方が、この町の中に必ず居られることを信じて、そして希望をもって、まだ見ぬ一人の魂に向けての発信に努めたい。コツコツと。

 

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名寄でしばしば開催される道北地区の会議。170㎞の距離は、わたしの運転だと、約3時間が必要だ。トイレ休憩は少なくとも1回必要だし、やはり安全のためにも休憩は必要だ。セブン(稚内にはない)にも寄りたくなる。

 

この距離は、遠くて大変と思う以上にrefreshになる。運転が好きなのも事実。しかし、それ以上に、委員会の仲間たちとの交流は掛け替えがないものだと感じる。何より力が充電されるのを感じる。

 

礼拝が終わったあと、互いに疲れを覚えながらも、道北地区では夕方4時に集まってから8時頃迄は会議が続く。しかも、牧師たちだけでなく、信徒の方も含めて熱心に語り合う。年齢や経験に関わりなく、互いを尊重し、自由に論じ合えることが本当に実践されていることも素晴らしい!

 

わたしは小学校の頃からサッカーをしてきた。Jリーグなど微塵もない頃である。高校時代からは、ゴールキーパーになった。

 

サッカーという大人数でするスポーツに関わって来たからだろうか。正直に言うと、個人戦のスポーツは苦手である。遊びでもそう。将棋や囲碁、オセロもだめだ。それに比べれば、トランプをみんなでワイワイ言い合いながらするのは楽しい。

 

つまり、チームプレーの競技が好きなのだ。いやいや、教会生活そのものがそうなのかも知れない。その点でも、道北地区の交わりに心地よさを感じる。感謝だなと心底思えるのだ。

 

稚内の短い夏はスルリと逃げて行く。気をつけねば。ではまた来月、チャオ♪

2013年

6月

20日

2013年06月20日(木) №52 『 大地主、札幌でTaxiに乗る 』


日曜日の夕、JRのスーパー宗谷に乗って札幌に向かった。 

 

ガラガラの片道6時間弱。眠くなるまで読書をし、しっかりと日曜日の睡眠不足を補い、新聞を二紙じっくりと読み込んで、さらに、妻がつくってくれたお弁当をゆっくりと味わっても、まだまだ時間が余る。

 

翌日月曜日午後からの、北海教区のある委員会前の時間を利用して、1年越しの課題であった、“大地主問題解決”のため、腕の良いお医者さま情報を得て、出掛けることにした。

 

いやはや、おっきな財産があると本当に大変だ。

 

去年のゴールデンウィーク、痛み炸裂、悶絶苦闘を経験。あまりの痛さに気を失った程だった。

 

その時はその時で出来る限りの治療を、ご縁があって旭川で受けたのだが、完治しないままここまで過ごしてきた次第。折を見て、経験豊富なお医者さまに診て頂こうと思ってはいたが、ようやく、時がめぐって来た次第である。

 

わたしには、札幌の土地勘が全くなく、宿泊先の大通りのホテルマンに地図を見せ、「ここから、どうやってこの病院に行きますかぁ?」と尋ねてみた。

 

「意外に不便な所ですので、地下鉄を使い、そこからはTaxiが便利です」との助言を受けてさっそく出掛けた。

 

地下鉄から降りてすぐにTaxiを探す。少し年を取って来たからだろうか、例えばTaxiの運転手さんにも、つい声を掛けて話がしたくなってしまう。

 

「○○クリニックお願いします。・・・・・あのぅ、わたし、稚内から来てるんです。“地主”になると、稚内では専門家がいなくて。旭川でも、ちょっとどうかなぁっていう状態なんですよ」

 

「あー、わたしら、いろんな病院の前でお客さんをお待ちしているんですが(遠距離バスが発着する)バスセンターまでというお客さんが、すごく多いんですよ。釧路、網走、稚内から札幌の病院においでになっている方がTaxiを利用されるんです」と運転手さん。

 

「そうですかぁ。利尻島は稚内から近いですけど、利尻にお住まいの方は、飛行機で函館まで飛行機を使って、町からの旅費補助を受けて、函館の病院に行くようですよ」

 

「そうなんですねぇ」

 

1000円にも満たない距離しか乗らなかったので、5,6分だったけれど、なーるほど、と考えさせられる時間となった。

 

お医者さまからは、適切だなと納得できる診断を受けて今後の治療方針が決定。少し安心。ただし、今後の通院等の手間と費用の覚悟も必要だ。

 

委員会ではこれまた、地方の仲間の先生の言葉を聞いて、がーんと思わされた。

 

後志の倶知安町にある教会のS牧師がこう言われた。高齢者と教会の話題が出ていた時の事である。

 

「倶知安町(くっちゃんちょう)には高齢者問題はないんです。みーんな、除雪が出来なくなる前に、倶知安を出て札幌に引っ越しますから」

 

これが雪国の厳しい現実だ。

 

でも、その町で、礼拝出席数名でも踏ん張っているS牧師の存在そのものが、わたしにとっては大きな励ましになった会議だった。

 

そしてまた、こんぶバザーの先輩格にあたる、野菜販売を(例えば今はアスパラ)10年は続けておられる恵庭市の島松伝道所・T牧師のお話にも多くの示唆を受けた。札幌出張、じつに有意義でした。いろいろな出会いとお交わりに感謝。end

2013年

6月

14日

2013年06月13日(木) №51 『 “ほっけフライ” 畏るべし 』

ほっけフライ。今晩いただきました。興奮さめやらぬうちに書き記します。

 

いやー、北海道2年目のわたし。そして妻も入れれば私たち。完全にカルチャーショックです。これまで食べてきた白身魚でこれほど完成度の高いフライはないのでは、と感じるほど、ほっけフライはうまい。

 

食いしん坊万歳ってなんか昔ありましたが、ほっけフライ万歳。

 

このBlogの中で、かつて、チカのフライを絶讃したことがありました。チカちゃん確かに美味しいです。見事なサクサク感で、軽くてすばらしい。

 

でもねぇ、チカって、幾つ食べても満足できないっていうのが泣き所だったような気がします。今振り返ると。チカちゃんにはチカちゃんの素晴らしさがある、と今でも思っては居りますが・・・・・。

 

先日、同じ町内のお友だちがおろして届けてくれていたホッケちゃん。

 

妻は冷凍していてくれたようで、本日、我が家の夕飯に登場。タルタルソースはなかったけれど、ウスターソース、そして、ケチャップとマヨネーズを混ぜて即席でつくった“オーロラソース”。これで十分です。はい。

 

インターネット上で「ホッケフライ」で検索すると、やはり、同じ様な驚きをもっている人がそれなりにいる様子。

 

わたしも人生50数年。東京近郊にもそれなりに長く住んでいましたけれど、「うちの魚フライ定食は“ほっけ”使ってますよーっ!」というお店は一度も聞いたことがない。

 

もちろん、生まれ育った九州・大分。あるいは、仕事で移り住んでいた福岡。アジフライは聞いたことがあっても、ホッケのフライなんて皆無だった。それどころか、ホッケという魚自体、普通のスーパーでは流通していないのではないかと思う。

 

新潟県の上越市にある教会に仕えていた頃、100㎞程離れた所にある伝道所のB級グルメ牧師・“うすちゃん”。彼がサバのフライを朝食のパンにはさんで食べたというのを聞いて驚いたことがあった。だけれ、あのB級グルメの“うすちゃん”すら、北海道のほっけフライの旨さは知らないのではなかろうか。

 

彼、青春18切符を使いこなして、色んな所に出掛けるのが得意だったけれど。

 

ある方のBlogに「どうして今までこれが無かったの?というくらい抜群のふわふわ感。サクサクっとしてふわっとして、癖の無い味、変な水っぽさが無い」とあったが、正にその通り。

 

本当に失礼いたしました。道民のみなさん。稚内のみなさん、とりわけ漁師の皆々さま。そして稚内教会のみなさん。緑町内のみなさま。ほっけ、おそるべしであります。

 

最近、妻は、ほっけの干物も作り始めました。味噌漬けにも挑戦するそうです。

 

わたくし、ほっけさまに足を向けて寝ることは、生涯決していたしません(゜゜)(。。)ペコッ end

 

追伸:それにしても、どうしてこんなに安くて旨いものが、道外に広がらないのだろう。不思議でなりませぬ。

2013年

6月

12日

2013年06月12日(水) №50 『 あんまり喜ばせるなよっ(^^♪) 』

水曜日の朝、稚内北星学園大学のキリスト教概論の授業に出掛ける。

 

9回目にして、ようやく“イエスの生涯”について学び始めた。

 

きょうは【人はパンだけで生きるものではない】(マタイによる福音書 4章4節)という聖句との関連で(わたしの中では結び付いているつもり・・・)、受講されている方たちにひとつの質問を。

 

「目に見えないものって何だろう」と。

 

いつもなら、授業の最後に小さなプリントを配布。感想や質問、気付きを記してもらうのだが、この日は、早々にこれを配り、5分ほどの時間を差し上げて、この問いについて書き込んでもらった。

 

講義の中では、いちいち言葉にしてもらうことはしなかったが、受講生の方たち、誠実に思い巡らし下さった。こんなことを記して居られた。

 

【目に見えないもの】

○人の気持ち、相手の心
○心、未来
○信頼や絆、感謝の気持ち
○愛(愛情)、好意、運、人の心
○おばけ、人の心、頭の中、未来、絆
○他人の考え、未来の出来事、霊的なもの、命、魂
○思い、考え、未来、実体のないもの、音
○空気、感情、考え
○おばけ、人の考えていること、相手の本音、人の心
○空気、音

 

20歳前後の若人と一緒に過ごせる時間、ありがたいことだなぁと思う。

 

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余談ながら、作家の高橋源一郎氏がNHKラジオ(すっぴん!・金曜日 朝 担当)で口にされていたことだが、高橋さんが(キリスト教主義の大学である)明治学院大学の教授として授業を担当してきた経験値から言える、丁度良いクラスの人数は12人とのこと。

 

Oh、わたしはラッキーなことに、本当に対話しやすいクラスで講義を持たせて頂いていることになる。重ね重ね有り難いことだ。本当の所、もしも大教室を委せられてしまったら、わたしはすぐにマイッテしまうのではと思うし、少しも楽しくないような気がする。

 

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サン・テグジュベリの代表作『星の王子さま』の中の名言に、【心で見なくっちゃ、物事は良く見えないって事さ、肝心なことは目にはみえないんだよ】があることを紹介しそびれた。

 

いつもながらのシマッタである(∋_∈)

 

そしてまた、第2コリント書4章18節のパウロの言葉、【わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです】も伝え忘れてしまった。

 

やれやれ。来週、振り返りの時に、補わなきゃいけないなぁ。

 

授業を終えて、いつものようにホールでぼーっとしながら“ポカリスエット・ライト"で水分補給をしながら休憩していると、通りがかりの青年が通りがかった。

 

青年は「あっ、森先生!ご無沙汰しています。○○です。」と急ブレーキを掛け、くるっと振り向いて深々と頭を下げ、元気に挨拶してくれたのだった。彼は2012年度(去年の秋からこの2月迄)にわたしの受業を選択してくれていた青年だ。

 

彼は毎回、『マンガ聖書入門』で身につけていたという聖書やキリスト教の知識と比較しながら、「いよいよ、来週が楽しみになってきました」等と、先にご紹介したペーパーに書込んでくれて、こちらの気持ちを上向きにしてくれた。

 

「森センセイ、教会の方にも、おじゃましたいと思ってます」等と結構真顔で言うではないか。ほんまかいなぁ。

 

あんまり喜ばせるなよ。教会においでなんて、授業で言ったことなんてなかったのになぁ(*^。^*)

 

よっし、来週、また頑張ろうかな、と思えた瞬間でありました! end

2013年

6月

11日

2013年06月11日(火) №49 『 伝わるコトバを探しましょ 』

 

日曜日の16時から始まる会議に出席のため、片道3時間弱を掛けて名寄に向かった。来年1月、旭川でおこなわれる「年頭修養会」の準備が進んでいる。

 

参加者は400人を超えそうなほど大規模で、しかも、62回目という北海教区の相当歴史ある集いだ。

 

その会議の中で、日曜夕方の人気長寿番組の「笑点」のように、「あっ、はい、できました」「じゃ、○○さん、どうぞ」みたいな感じのやり取りの時間があった。

 

来年の年頭修養会のテーマのキャッチコピーのようなものを創ろうと、していた時だった。誠実な仲間たちと知恵を絞りながら、見たり触れたり聞く人の心に届く言葉を探したのだが、これがとてもむつかしい。

 

直球で真っ正面から勝負のような言葉は、受け取る側からすると、身も心も固くさせてしまう。かといって崩しすぎると、キリスト教会らしくないというのも本当だ。

 

その一方で、何これっ!という感じがないと、引き込まれるような期待感は生まれないような気もする。

 

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進行役の方の見極めがよくて、結論はまた次回の会議にしましょう・・・ということになった。いい判断だったなぁと思う。

 

少し時間を置いてあの会議を振り返って見ると、セブンのおにぎりを頰張りながら、大切なことを伝えるために、伝えたい事柄をどう翻訳したり、言い換えることが出来るのか、という作業を繰り返していたように感じる。

 

話題になっていたことの一つは、「ファシリテーター(facilitator)」或いは「ファシリテート(facilitate)」という言葉の意味は何かということだった。

 

これ、お招きしようとしている講師との関わりでの話題だ。

 

たとえば、『Weblio英和対訳辞書』によると、【ファシリテーション(英: Facilitation)】はこう説明される。

 

○「会議、ミーティング等の場で・・・合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させる手法・技術・行為の総称」

うーん、むつかしい。

 

英語が母国語のR先生は、数ヶ月前の同様の会議で、「ファシリテートはどんな意味なの」と聞く声に対して、「うーん、そうだねぇ。何かを引き出すという意味だよー」とみんなに教えてくださったことがあった。

 

そして、一昨日の夜には、「ファシリテーターって、牧師に求められることなんだよ」とも確か口にされたと思う。いやはや大変だ。

 

昨今何かと話題になることの多い、「TOEIC(Test of English for International Communication)」の受験生にとっても難しいんではなかろうか。

 

要するに、ひと言では説明出来にくい、重層的な機能をもつもので、人によっては受け止め方にかなりの幅がある言葉なのだろう。そして、とても大切な役割を意味するようだ。

 

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説教に取り組んだり、手紙を書く時に、“類語辞典"を使うと、よいヒントを見つけられることがある。わたしが類語辞典を使うようになったのは、日本のある説教学の大家の言葉が切っ掛けだった。

 

次の年頭修養会の会議には、少なくとも幾人かがこれを持参しておいた方がよいかも知れない(笑)。年頭修養会のキャッチはどう落ち着くのか、楽しみだ。

 

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そういえば、同じ会議の中で、「革新」・「連帯」という北海教区の掲げ続けている言葉についても話題になった。

 

というか、わたしが、たくさんの先輩方を前にして、まことにせんえつながら少し口にしたのだった。

 

今もこれからも「革新」・「連帯」でいいのか。教会の看板やチラシにこれを掲げられるだろうか。使い分けが必要な言葉を使い続けなければならないところに矛盾はないんだろうか、と。これ決して対決的な論調ではなかったのでご安心を。 そして、わたしは正直、北海教区が大好きです。

 

ある教会の方からは、今年のうちの教会標語は、「ホッとしようよ」なんですよ、という言葉がわたしの発言のあとに続いた。なるほど。

 

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帰宅してから妻に聞いてみた。

 

彼女いわく、「連帯」=「連帯責任」か「連帯保証人」のイメージしかない、とのこと。わたしは、1980年以後活躍したポーランドのワレサ議長(熱心なクリスチャンのはずです)を思い出しますな。

 

「革新」はどうか。

 

これは妻に聞きそびれたが、手元のPCに収められているスーパー大辞林の類語辞典で調べるとこうなった。


・維新(いしん)・改革(かいかく)・改新(かいしん)・改正(かいせい)・改造(かいぞう)・改変(かいへん)・革新(かくしん)・革命(かくめい)・クーデター・更始(こうし)・変革(へんかく)・世直し(よなおし)

 

いやぁ、マイリマシタね。

 

客観的に見て、やはり政治の世界で使われることが多い言葉なのではあるまいか。長くなりましてゴメンナサイ(誰に対してかは不明)。 歴史的な積み重ねと必然、そして、誠実な見証の中で重んじられてきた言葉であるにしても、違和感を抱く世の人、そして、キリスト者も多いのではなかろうか。なお堅守すべきコトバなのだろうか。

 

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わたしたち、同じ事を成し遂げようとするにしても、変わっていくことも必要なのではないかと思う。

 

時代とズレはないか。世間とのミゾはないか。大切にしていることは、キリスト者としてどうしてもゆずれない言葉なのか。

 

必要に応じて翻訳したり表現を変えて行かないと、どんなに良い知らせ(=福音)を与えられ抱えているとしても、わたしたちの働きは、いつのまにか上滑りとなってしまうのでは、と危惧する。

 

牧師の説教も聖書=福音の翻訳・通訳の連続かと思います。

 

サシサワリガアッタカシラ(*'-')ノ~ どうもすみません。end

2013年

6月

08日

2013年06月08日(土) №48 『 “お米" と“ホッケ" の話 』


「そんなのさぁ、ただの偶然じゃないの」と言ってしまえばそれまでなのであるが、時々、驚くことが我が家には起こる。

 

妻が、もう米びつにお米がなくなってしまった。どうしよう(お米を買うことが出来ないのではありません)、どこで買うのが良いかなぁ、教会の○○さんだったら、よい情報を持っているかなぁ等と思いつつ、もたもたして、決心できないで居たそうだ。

 

稚内教会の方ではないのだが、昨年来、主にあってお交わりを頂いている、稚内から見れば南に300㎞位離れた所にお住まいのご婦人が、先日、「所用で稚内に参ります」と連絡を下さった。

 

「だったら、遠慮のひとかけらもいらないので、ご用が終わったら、電話をください。教会でお茶の一杯でも」と伝えていたところ、「今、用が済みまして、車に乗り込みました。これから参りますがよろしいですか?」と電話が入った。

 

程なく来会され、2時間ほど話し込む。あっという間の2時間だった。それじゃまた、とお見送りしようとして車に近づくと「先生、車は?」「はっ?」「岩見沢のお米をもって来ました」「えーっ!天からのマナですか」「はい、重いから車がないと」「いやいや、大丈夫です」

 

美しい風呂敷に包まれた10㎏のお米。抱きかかえて牧師館に戻って妻に見せると。「えーーーっ!」と目と口をまん丸にしていた。有り難いことだと思う。

 

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今日はきょうで、牧師室にて週報作りをしていると、妻から携帯に電話が入った。

 

「あなたの"Blog"を読んだ○○さんが、今、ホッケをもって来てくれたよー。それから、礼文に行ったからって、礼文饅頭、山菜も!」

 

○○さん。数少ない、教会以外のこの地でのお友だちだ。礼文を愛し、野の草花を愛してやまない素敵な方で、いつも色んなことを密かに吸収させて頂いている。 互いにBlogを見ながら、交流を続けているのだが、妻によると「○○さん、枝幸の漁師さんの娘だから、ホッケ、ご自分で開いてもって来てくださったんだよっ!」とのこと。

 

○○さん。そういえば、枝幸の流氷に乗って遊んでいた(かーなり危険な遊び、一見するとそんなオテンバさんには決して見えません)とか言ってたなぁ。

 

いろんなことが、点から線になって広がり、面となって紡がれていく。

 

ホッケは現在ひとまず冷凍しておりまして、近く、念願のフライになる予定であります。キャベツたっぷりの白の大皿に盛られるホッケフライ定食の夕べが近づいている。

 

有り難いことだとしみじみ思う。

 

もちろん、教会の方々からも、いろいろとお裾分け?をこの季節も頂いている。

○帆立の稚貝・・・帆立貝のたねつけの?お手伝いのお裾分け

○貝殻付きの帆立貝・・・帆立の名産地の漁協・定期預金のプレゼントお裾分け

○北海道ならでは季節のアスパラ山盛り・・・各方面から

○手作りヨモギ餅・・・この季節 山に入って生のヨモギ刈りをされたものを入れたもの 絶品 たぶん日本一の旨さ!

○ジャガイモ・・・北海道の厳し冬を越えた(ムシロを掛けて屋外に保管)ジャガイモは格別の味 

 

いやいやその他にも、神奈川県の江ノ島に近い、とある町にお住まいのお宅からは、妻に「クール便送るから、何がほしいもの言いなさいっ!」と、家族(妻からすると姉ちゃん、わたしからすると妹?)としか思えないようなお付き合いをしてくださる方から定期便が間もなく届く模様。

 

神さま、ありがとうございます。稚内の暮らし、とっても豊かであります。

 

マナの問題ではありませぬ。この交わりこそが今日を生きる喜びと力!

2013年

6月

03日

2013年06月03日(月) №47 『 ほっけ考 in 稚内 again 』


わたしのBlogのバックナンバー 2013.05.13(月) №41 『 懺悔 “ホッケ"のこと 正直なめてました 』をUPしてからというもの。最近、ますますホッケが気になるし、ほっけが本当に旨い。

 

あの日、正直な告白をしてよかったと思う。やはり、罪は神と人の前に明らかにして、身軽にならなければと少し感じている。

 

昨日は日曜日だった。礼拝、役員会も終わり、幾人かの方への週報などのお届けも終わり、夕刻、日曜日にしてはめずらしく、妻とスーパーに買い物に出掛けた。「何かお刺身があるといいねぇ」と、市内某店を訪れたのだった。

 

お魚売場をうろうろしていると、目に入るのはホッケである。

 

今までならば、ホッケを見ると(すこしオーバーに言えば)「けっ、ほっけの何がうまいんだ」「ほーらねぇ、生ほっけ一匹75円なんて、たいした味じゃないから、値段だって安いじゃないかぁ」と馬鹿にして通り過ぎていた、というか、無視していたのだった。デカいばかりで、しょうもないヤツだ・・・・・・と。

 

しかーし。

 

昨日は、“ほっけさま”、いや、“ほっけ殿”の干物の前に、夫婦して立ち止まってしまった。予定変更である。生帆立の50円引きをすでに籠に入れていたのだが、ほっけさまの強烈な“磁力"に身動きができない。金縛りならぬ、ほっけ縛りか。

 

“開ホッケ干”金299円、2枚入りお買い上げ。1時間後の我が家のつましい食卓での会話。

 

私「いやぁ、本当にほっけが旨い。こんなにおいしい干物、ないよ。もう、アジの開きなんて、けっだよね。もうぜったい戻れないよー。間違いなく最高!」
妻「センセイ(妻はしばしばこう私を呼ぶ)が留守の時、わたし、独りで焼いて食べとったしぃ!」

 

妻の隠密単独行動を、わたしが気が付いていなかったわけではない。それとなく、知っていたし、ほのめかす言葉は聞いていた。

 

だが、当時のわたしは「ほっけ完全無視」の姿勢を貫いていた。そんなことはどうでもよかったのだった。

 

「どうぞ、どうぞ。俺には、イワシの目刺しもあるし、アジの干物だって、鯖の干物、あるいは、秋刀魚だってあるからさ。まったく問題ございません」がわたしの生き方だった。

 

しかし、昨晩も本当に美味しかった。ボリュームといい、お味といい、満点である。わたしを決して裏切らない実力者なのだ。「ご飯、おかわりもう一杯」という感じで食が進む。油の乗ったこんがり焼けた皮と共に頂くホコホコのほっけさまの開きは、大根おろしとのマッチングがこれまた素晴らしい。

 

妻は食後、インターネットで何かを調べていた。

 

「ねぇねぇ、ほっけフライも美味しいってよぅー」と言っている。

 

そうかぁ。「チカのフライが最高」と稚内に来て以来信じてきたわたしだが、もしかすると、大逆転の出来事が、干物・焼き魚部門だけでなく、魚フライ部門でも勃発しそうな雲行きである。

 

イエスの一番弟子ペトロがもしも稚内、あるいは北海道に居たら、ガリラヤ湖のピーターズフィッシュに見向きもしなくなるのではなかろうか。

 

いやはや。若かれし頃に口にしたあの、寂しいほっけは一体何だのだろうか。しばらく、ほっけをめぐる「メタノイア=悔い改め」いやいや、「食いあらため」の日々が続きそうである。end

◆【 (日記以外の)新着 おしらせ 】

1)写真館に最近ものをすこし ^^♪16.5.30

 

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○『我 ステテコを愛す』(14.7.31)

○『「きょう一日元気で歩みます」とあった』(14.6.23)

○『美穂さん』(14.6.1)

○『我が師のアスケーゼ』(14.5.31)

 

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