2012年

12月

30日

2012.12.30 (日) №17 『 2012年 ブログ最終便 』

今日は今年最後の日曜日だった。

 

10年近く前だとお聴きしたと思うが、東京方面からお仕事の関係で稚内に越して来られ、永住を決めておられるSさんご夫妻の元に、息子さんが正月休みで遊びに来られ、礼拝にも親子三人で出席してくださった。彼は若き作曲家であり、今は学校の音楽の先生をなさっているとお聴きした。(親孝行な33歳 独身 お母さん似?のナイスガイでイケメン 三男!)

 

親子三人が仲よく? 礼拝堂の長いすに横並びにお座りになる姿は、何とも幸せな光景だと思う。こういうご家族が(たとえ横並びに座らなくとも)少しずつ増えて行くと、教会は活気づくのではないかと思うし、信仰もやがて継承される日が来るのではないだろうか。

 

以前からその活躍ぶりをお聴きし、わたしもお目に掛かってご挨拶をと願っていたので、とても嬉しい日曜日となった。「両親がいつもお世話になります」との丁寧なご挨拶を頂き恐縮だった。じっくりとお話を聴かせて頂きたい世界に生きておられる方で、これからのお交わりが楽しみだ。

 

あいにく、Sさんが搭乗された、前日の東京発→稚内行きの全日空便は稚内空港に着陸できなかったそうだ。しばらく続いた大雪で、除雪が間に合わず、着陸できない荒れた状態だったのだろう。着陸地が旭川空港になってしまったとのこと。準備されたバスで稚内入りされたそうだが、旭川からおそらく5時間位は掛かったのではないかと思う。稚内にはこういうリスクがあるのが辛いところでもある。

 

滞りなく(と自分では思っているが)礼拝を終え、集会室で、幾人かの方たちと共に、くつろいでお茶の時間を過ごしていたとき、各家庭の“お雑煮”のことが話題になった。

 

今年は、元旦礼拝のあと、K兄が腕を振るってくださり、雑煮をみんなで頂こうということになっている。そんなこんなで、K兄が、どんな雑煮をふるまって下さるのか、みんな楽しみにしている様子にも見えた。

 

うーん、そうなんだなぁと思ったのは、“これが最北端の町稚内の雑煮”というようなものは存在しない、ということだった。そもそも、アイヌ民族の方たちの居住地に、あとから様々な地から移り住んできた人々が暮らしているのが北海道であり稚内なのだから、日本各地の雑煮が、稚内の各家庭では正月の食卓に登る、ということなのだろう。

 

「昆布の出汁で 野菜だけのお雑煮」、「ゴボウを入れる」、「福岡はぶりを入れるのもありますよ」「鳥のだしで」「あん餅が入ったのもあるらしい」等の声も聞こえた。K兄も、何人かの人に、「どんな雑煮を食べるの?」と尋ねていたらしい。いずれにしても、元旦礼拝後が楽しみだなぁと思う。

 

わたしはと言えば「丸餅で かしわで出汁をとって ほうれん草 ナルト 鶏肉 が入ったすまし汁 」というような雑煮で育った。わたしは大分県育ちだが、それが、大分の代表的な雑煮なのかは不明だ。もしかすると、母が生まれ育った名古屋風の可能性もある。幸い、博多育ちの妻も似たような味で生きてきたようで、この点でいさかいはなく過ごしている。

 

幾人かの来会者がお帰りになったあと、教会を17時前頃出て帰宅。Oさんが牧師館の除雪の至らなさを見るに見かねて、除雪作業を黙々としてくださっていた。妻もその前に一時間ほど、汗を流してくれていたのだが、それでもまだまだ、ということのようだ。ここは御好意に甘えようと思う。

 

その後、明日からの暴風雪予報を耳にしていたので、早めに買い出しに出かけた方が賢明かも、ということで、稚内に古くからある食料品店にお正月の食材を買いに出掛けることにした。年越しそばや蒲鉾を買ったり、雑煮に入れるほうれん草。そして、毎年、お正月だけ我が家の食卓に上るローストビーフに使う肉の塊をお隣の精肉店で300㌘ほど買って帰宅した。もちろん、わたしはお伴に過ぎないのだが。

 

明後日が元旦礼拝なので、プログラム作りや、説教の準備。そして、明日は転入会をされる方とお話しをする予定もあるなど、お仕事もまだあるけれど、ここまで無事に導かれて、2012年を終えられることは感謝だ。

 

礼拝後にある方が、「もり先生 今年 稚内教会にいらしたんですよねぇ。もう何年も一緒に過ごしてきたような気がして・・・」と話しかけてくださった。うーん、なるほど。そう言われてみるとそんな感じがする。

 

沢山の方が出入りする教会とは違って、小さな規模の地方の教会であるぶん、一人ひとりとの関わり方が深いから、濃く、ゆたかな交わりが生まれるのだろうか。今のわたしにとって、それはとても幸いなことであり、大事にしたいことである。ありがたいことだ、とあらためて思う。

 

来年もどうぞよろしく!end

2012年

12月

26日

2012.12.26(水) №16 『 NHKラジオ 番組の途中ですが… 』

クリスマスの洗礼式を終えて牧師館に戻った時に始めたのはリビングルームの掃除機掛けだった。妻からのリクエストがあり、夕飯までの時間にせっせと掃除機をかけた。牧師館の補修工事が終わったのがたぶん9月末頃。それまでは、まめに掃除機を手にしていたのだけれど、いつの間にかその余裕がなくなっていた。

 

タイトルにした〈NHKラジオ 番組の途中ですが…〉とは何か。札幌を基点としたNHKのラジオ第一放送をわが家では比較的聴いている時間が多いのだが、しばしば、全国放送が流れている時に、スーッと音がフェードアウトし、NHK札幌局のアナウンサーの方が道路交通情報を語り始める。それがこの季節とても多くなって来た。

 

雪がまったく降らない時期でも、高速道路での事故情報が割と多く聞こえてきていたが、最近は、通行止め、あるいは通行止め解除の放送が、1時間に2,3度入ることもある。さらに、気象の情報も入る。竜巻とか暴風雪とかもある。

 

今日は、内閣総辞職と組閣が全国ではメインのニュースなのだが、おそらく、NHK札幌の方たちは、「はーい、道路情報入りまーす」というような具合に、いつでもOKの臨戦態勢をとっているのでは、と想像する。

 

そう、雪がにわかに多くなってきたのだ。先だっては、自家用車の腹が地面に擦るような状態になり牧師館の駐車場から出られなくなって、幼稚園のブルにも助けてもらい、JAFを呼んでというようなことになってしまった。

 

でもこれを薬にして、わが家でもせっせと雪かきをするようになった。隊長は妻で、彼女の腕はどんどん上がっている(ような気がする)。

 

当たりを冷静に見回して観察をしてみて分かったことは、「除雪はまめにやるしかない」ということのようだ。

 

除雪用の器具を届けてくださる方も居られた。あるいは、たまたまそのような状態を耳にされた、かつて仕えていた新潟でお世話になっいていた信者さんからも、丈夫なスノーダンプが届いた。新潟県の妙高市は豪雪地帯としても知られているのだが、新井という町にはなんとスノーダンプの有名メーカーがあったのだ。

 

わたしも新たに、ミツウマの長靴を購入。古くから小樽で長靴一筋のメーカーがあるのだ。教会のある方がさっそく気付いてくださり「先生の長靴、こっちで買ったの」「はい、ミツウマです」と胸を張った(あはは)。

 

「いやー、それいいわぁ。かーーなり、昔からあるもんなぁ」という会話も交わした。妻にも新品同様だが事情により休眠し掛かっていた長靴が届いた。

 

冬はまだ始まったばかり。散歩にはいけないぶん、二人でせっせと除雪で汗を流すのが、冬の一番のストレス解消かも知れない。NHKの第一放送から「番組の途中ですが・・・」が頻繁に聞こえて来る頃は、われらも出動のタイミングかも知れない。

 

きょうは吉永小百合さん主演の“北のカナリアたち”の二度目を観に行こうと予定していたが、吹雪そうなので安全第一を選択。取りやめとなった。この映画、稚内も含めて、礼文島や利尻、あるいは豊富といったこの地域が舞台の映画です。

 

もし、遠方でこのブログをご覧の方がおられましたら、それぞれの地域で、まだ“北のカナリアたち”をご覧になれるかも知れません。この映画お薦めします。名画の域には達していないけれど、良い映画です。子どもたちの歌声が心に響きます。わたしは最後ハンカチを握りしめてました。

 

“北のカナリアたち”は、稚内教会が立つ道北の冬を垣間見せてくれます。見て下さると、何となく応頂いているような気がします。よろしくお願いしまーーす。あっ、吉永小百合さんもすごい女優さんだと改めて気付きますよ。何がそう思わせるかは観てのお楽しみです(@^^)/~~~

2012年

12月

25日

2012.12.25 (火) №15 『 一人の“きょうだい”が生まれた 』

今年のクリスマス=12月25日は、思い出深い洗礼式をご家庭で行うことができた。これまで何人かの病床洗礼式は経験したけれど、昨日のA兄の洗礼式は、入院先ではなくご自宅で、しかも、家庭集会の延長のような形で執り行うことになった。

 

ご病気との格闘が現在も続き、これからも続くと思われるA兄だが、ご自宅の大きなソファーにどっかりと腰掛けて洗礼式を執り行い、しかも、A兄が語られる「あかし」にも、集ったみんなが静かに心傾ける時間もあった。教会ホームページの写真館にその時の一コマがupされている。

 

入院先での病床洗礼の場合、緊急というような場合が多いし、体力的な制約もあることが殆どだが、今回は、ひとつの礼拝の形で一時間をかけて、奏楽もピアノの美しい伴奏が捧げられて、教会の方々も10名ほどが集うよき時となった。

 

それどころか、通常の日曜日の礼拝の中で行われる洗礼式よりも、ある意味で相当濃い内容の洗礼式となった。感謝だ。稚内教会では久しぶりの受洗者であり、わたしも稚内では最初の授洗だ。

 

洗礼式、それは、受洗者だけが恵みに与るのではなく、その場に居合わせた者全体に、ある種のちいさな出来事が起こる場だといつも思う。一人ひとりに働きかける主のみ業があることは素晴らしい。

 

『風は思いのままに』という説教を洗礼式の中で語った。その中で触れたことなのだが、A兄は、現在の稚内教会が誕生する以前の、昭和25年当時の中学生の時に、クリスマスページェントに参加していた経験のある方なのだ。

 

さらにご結婚相手の奥さまは、当時既に稚内教会の会員だったT姉だ。T姉は信仰一筋に歩んでこられた女性とも言える方。そのような方を傍らで支え、教会にいつも送りだしてくださっていたのがA兄ということになる。うーん、すごいなぁと思う。稚内教会を側面から支えて来てくれたのがA兄なのだ。

 

洗礼式が終わり、あらかじめ「教会からの公式のお祝いの言葉をお願いします」と伝えていた役員のK兄の言葉が素晴らしかった。「きょうから、きょうだいと呼べる」と。そして、K兄は帰り際に「きょうだい じゃあまた」と大きな声で伝え手を挙げた。

 

今時、兄さん、姉さんがまかり通る世界は限られていると思う。けれども、聖書が教える〈兄弟姉妹〉はやはり重んじられるべき言葉かと思う。

 

今年の4月1日、最初の日曜日の夕方、導かれてお宅におじゃまし“寿司”を一緒につまませて頂いた時に、この日が来ることは予想出来なかった。主のみ業は、多くの人々を巻き込んでこの日が来たと思う。

 

稚内で家族がひとり増えた。風のまち稚内に神さまからの風が確かに吹き抜けたのだ。

2012年

12月

17日

2012.12.17 (月) №14 『 人口37,675人 の稚内 』

『 広報わっかない 』が毎月町内の回覧板と同じように牧師館にも届く。あるいは、講義でおじゃまする稚内北星学園大学の図書館やコンビニでも頂くことが出来る。その広報は、稚内北星学園大学が稚内市から業務委託されているとのこと。そのため、大学の事務所の片隅で編集作業が行われていてその様子が目に入ってくる。

 

スタッフの方が、わたしたちの教会とも結び付きがあるので、応援する気持ちも強い。そして、これまで暮らしてきた様々な市町村の広報よりも興味をもって読むことが多い。読み物として面白く、様々な工夫がなされているのも、そう感じる理由かも知れない。

 

わたしが稚内で暮らすようになってから、必ず確認する欄がある。それは最終ページにある〈稚内市の人口〉である。最新の12月号には、11月25日現在の人口が載っていて、男:18,442人、女:19,233人、合計37,675名とある。世帯数は18,716名だ。

 

何が気になるのか。それは、前月比の数である。10月と比較すると、男性は22人減少、女性は9名減っている。合計31人が何らかの理由で稚内市民では無くなり、世帯数も13世帯減っている。スクラップしているわけではないから(今号から始めようかな)正確ではないけれど、わたしの印象では、やはり毎月30人近く減ってきたのではと記憶している。

 

うーん、これで12ヶ月を計算すると300人~400人が一年間の減少となり、5年で1500人~2000人。さらに10年では・・・・となる。いろいろな方のお話しを聴いていると、稚内を愛しているけれども、健康上の理由、とりわけ病院の問題、そして子どもさんとの兼ね合いなども考えて、札幌方面に定年退職後に引っ越される方もあるという話を、ぽつりぽつりと聴く。

 

それから、教会に関係する方の声に限られるけれど、たいへん多くの方から、「稚内(教会)がよかった」「故郷のように思う」「わたしの青春の全て」等々、表現は違っても、稚内が好きという声が伝わってくる。もちろん、聴いていないけれど、違う気持ちの人もいるとは思いますが。

 

これは、遠く離れてみれば誰だって・・・の、世に多くある話と同じなのだろうか。私見だが、どうも違うように思う。時を改めて考えてみたいと思うけれど、稚内にそれなりの期間を暮らした方たちは、近郊に大きな市町村や都市がない稚内の、端から見ると不自由そうに見えるこの大きさの町、そして、最北に位置する町のよさを、あとになって肌に感じているのではないか。狭さや小ささ。不便さも含めて、だからこそ濃いものがあるように思う。

 

稚内に未来はないのかしら。わたしは少しもそうは思わない。そして、待ったなしに高齢化が進む稚内であり、稚内教会だけれども道はあるのではないだろうか、と希望を失うことはない。

 

ただし価値観をどう持てるか、それはすごく重要なことではないか。大都市あるいは中堅地方都市とはまったく違う価値観の共有が出来れば、地元紙などがしきりに訴えている危機感は、「でも、これでも十分によいのだ」という気持ちに変わっていくのではないだろうか。

 

友人が牧師をしている、例えば、鹿児島県の南西諸島の徳之島。1月に応援に出かけたけれど、あの町の人口は11,799人と出ている。出会った方たちは、すごく幸せそうに見えた。

 

わたしの故郷の大分県に姫島村というところがある。2年前の国勢調査の人口で2,189人、世帯数=913世帯という。姫島村のホームページにも情報公開されているが、人口に比して村役場に勤める方の数は大変多い。が、給料は思いっきり低くしている。仕事をシェアーしているのだ。そこにはすごく大事な意味と合意があるのだと感じる。

 

きょうは牧師の休日の月曜日。妻と一週間分の買い出しに出かけた。一番大きな西條さんという百貨店風のショッピングモールで「あっごめんなさい」とぶつかって足を踏んで下さった!?ご婦人を振り返って確かめてみると、親しくしているご婦人だった。

 

美味しい魚を、と立ち寄ったスーパーの入り口で立ち話したのは、教会員のNさんのご主人で、「いやー、降ったねぇ」と除雪の苦労話をして下さった。そして、牧師館の前で雪かきをしていると手を振ってくれたのは、幼稚園の聖歌隊で一緒に讃美歌を歌い始めた園児のお母さんだった。嬉しかった。

 

あっ、先週の土曜日のこと。春先に福岡からの友人達と一緒に礼文島を訪ねた時、桃岩の辺りで親切にお花のことをあれこれ教えてくださり、しばらく道案内と草花の紹介を一向にして下さった=礼文をこよなく愛するご婦人が教会の玄関先に立っておられた。

 

嬉しいことに、礼文の花々や野鳥が写っている素敵なカレンダーをプレゼントしに教会を訪ねて下さったのだ。なんとその方は、住所は正確には存じ上げないけれど、同じ緑町内の方なのだ。ときーにだけれど、メールのやり取りが出来るようになっている。ご近所づきあいのようでこれも嬉しい。トマトを下さった事もあったなぁ。

 

稚内。その恵みを改めて思うきょうであります。クリスマス前の慌ただしさにあるはずですが、なぜか、keyboardを打ち込んでしまいました。end

2012年

12月

09日

2012.12.09 (日) №13 『 ひさしぶりぃ! 』

毎週日曜日は、少しオーバーに言えば何が起こるか分からない、何かが起こるかも知れない。そんな気持ちで迎えることがよくある。10時半少し前になると、講壇の席から、礼拝欠席の連絡を下さっている方の顔を思い浮かべながら、礼拝堂に着席されている方をぼんやりながめることが多い。

 

稚内教会の礼拝。いつ頃からの伝統なのだろうか、礼拝開始の定刻、10時30分よりもほんの数十秒だが早めに始まることがある。だらだらと遅れて始まる教会の方が多いような気がするから、これはこれで良いのかも知れない。遠方の牧師仲間は、早く始まるより遅れる方がいいんじゃない、と言っていたが。

 

今日の日曜日、わたしの心の中では思いがけないことが起こった朝だった。礼拝が始まって間もない頃に、2階の礼拝堂の入り口に何やら黒い人影が見えた。誰だろうなぁと思ったものの直ぐには分からなかった。男の人だ。受付もさっと済まされたので新来会者ではない。やがて讃美歌を歌い始めたその人の顔が見えた。

 

Mさんだった。4月から稚内にある勤め先への赴任が決まってこの町にお出でになった、20代のナイスガイだ(と本当に思う)。日曜日もほとんど休みを取ることが出来ないのでは、というようなハードな職場だとお聴きしていたが、夏前に姿を見せたのを最後に、ぱったりをお出でにならなくなっていたので気になっていた。

 

定期的に週報などもお送りしていたが、反応も無くなってしまっていたので、「これはもう、稚内教会には来ないことに決めた、ということかなぁ。でもそうだとしたら、何がいたらなかったのか、本当の所を聴いてみたい」というような気持ちになりかかっていた所だったのだ。

 

いやはや良かった。率直にうれしい。Mさんは、「とにかく忙しくて。2度ほど教会に来られそうな日もありましたが、疲れで寝てしまっていました」とのこと。

 

教会の皆さんがお帰りなってから、妻と三人であれこれと話をした。面白いことをお話しされていた。まだ20代半ばのMさん、体育会系の空気の中で生きてきた自分だからなのか、わずか数歳年下の同僚たちの感覚に戸惑いを覚えているというのだった。違和感とは言われなかったけれど、言葉遣いやら挨拶や、その違いについていけないそうだ。

 

この話を聴きながら、わたしが頭の中で思い浮かべたのは、秋から週に1度講義を担当させていただいている、市内の大学の学生さん達との向き合い方との関連だった。無い知恵を振り絞りながら、キリスト教の、ある意味で核心の部分を届けたいと思って努力しているのだが、中々これがむつかしい。何がどう受けとめられ、彼らの関心はどこにあるのか・・・。まだまだくみ取ることが出来ていない。

 

でも毎週本当に楽しい。赦しについての話をしたあとの感想には、「どんな罪でも赦されますか? 何度まで・・・」と記されていたり、新鮮な気持ちになる。

 

話は変わるが、この日奥さまとご一緒に礼拝に出席されていたOさん。礼拝後、みんなでコーヒーを飲む時間までお付き合いして下さった。今日の礼拝はどうだったか、というような話題になった時に口を開いて下さった。

 

奥さまが「お父さんには難しかったでしょ。顔を見ていてわかったよ」というお話しをされたあとに、「うん、わからなかった。言葉が難しいというのか・・・」と口にされた。

 

それって本当の言葉だろうと感じた。そしてそこに居られた方が言って下さったのだが「そういうことも言えるようになってよかったわぁ」というのも本当だと思った。

 

授業でも、礼拝説教でも、皆の心に届く何かをと願いつつも、十分に届けられない未熟さを思う。けれども、それでも感謝だなぁと感じるこの頃だ。自分には足りないけれど補ってくれる方が働いてくれることを信じたい。

 

こんど洗礼を受けられるAさんも、入門講座の終わりに「いかがですか、何か質問はありますか?」と尋ねると、「よくわかりませんでした」としばしば口にされていた。分かっていないのに、分かりましたと言われるよりも、これってすごく大事なことだろう。

 

でも、それでもいいのではと思えるのだった。それは、わたしの努力とは違う方向からの何かを既に受けとめて居られて、がっちりと自分のものにして居られるものがある、と明確に感じるからだろうと思う。

 

で、最初のMさんの話とどう結びつくか。わたしの中ではどこかで結びついているのですね、これが。説明は出来ないのだけど。感謝しています。

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