2012年
10月
15日
月
10月の第一週・10月7日(日)は教会創立61周年の記念礼拝が行われた。北見から97歳の初代牧師・田村喜代治先生をお迎えし、ホッと一息。お祝いの日を通して有形無形の色々なものを、頂いたように思う。田村先生、ありがとうございました。
稚内教会の歴史を、曲がりなりにも知らなくてはと思っていたら、いつの間にか「略史」のようなものを一枚の紙にまとめるのに時間を取ったり、田村先生をお迎えする準備でどたばたと過ごしていた。
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その翌日から、北海教区名物とも言えるかも知れない、『教職講座』に出かけてきた。稚内を朝9時過ぎに出発し新篠津という石狩平野の真ん中の石狩川沿いにある施設に向かった。到着は15時の開始15分前。5時間と少し掛かっている。この講座で意気投合して親しくなったT牧師から、「帰りは朝9時過ぎに出て途中爆睡。そして、17時前に到着」と聴いたので、私が一番遠いわけではない様子。
『スーパー大辞林』によると、【リトリート】という言葉には、「①引きこもること。②修養会。(宗教的な)研修。③退却。退路」という意味がある。【リトリート】で全てを言い尽くせないにしても、重なる意味合いが沢山秘められている3泊4日だった。長いようでいて私には必要な時間だったと今思う。
メインの講演が二度行われたほか、日頃、一人では考えることも、学ぶことも出来ないような視点からの学びや分かち合いの時間に感謝の連続だった。自分史をみんなの前で丁寧に語って下さった大先輩のお話も有り難いものだった。よくぞあんなふうにまとめることが出来るものだと感心。
さらに、一度話を聴いてみたいと願っていた、ソーシャルワーカーで北海道医療大学教授を務められている向谷地行良さんのお話もあるなど盛りだくさんで、いっときに聴くのにはもったいないと感じる程なのだ。
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そんな中、共に励まし合える友との新しい出会いと語らいの時間が生まれた。その一人が風呂場の脱衣場で一杯やりながら(お酒を飲めないのでポカリスエットだが)語らい始めたT牧師だった。
親しい友からT牧師の奮闘ぶりについて以前から聴いていたので、ぜひ機会があったらと思っていたのだった。するとあら不思議。少し塩っ気のある温泉からあがって、湯上がりに鼻歌交じりで体を拭いていたら、そのT牧師がそこに居るでは無いか。
「あのー、T先生ですか」と声を掛けると、「森先生ですね」と言って下さった。稚内教会の就任式の挨拶状などから、好感を持って頭にインプットされていました、という意味の事を口にされた。よかった。
40分程経っただろうか。まるで、場末のスナックの閉店時間を告げるかのように脱衣場に蛍の光が流れ始めた。それで、宿のロビーに移動してからもしばらく話し込んだ。
語らいの中で幾つか本物の言葉があった、と思う。いや、言葉にされていないけれどそう感じた物があったというのが本当かも知れない。私が口にした言葉にそういうものがあったのかは自信はないけれど、備えられた恵みの時だった、と素直に思える。
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10月14日の夜からは名寄の道北センターに滞在。道北地区委員会が19時過ぎまで行われた後、夜から翌朝に掛けては、道北地区の牧師会があった。これも、日頃、独りで考えることが多い私には有り難い時間だった。
みんなそれぞれのスタンスで真面目で熱い、と感じる。わたしもそれなりにそのつもりだが、個性的な先生方が、一定の距離感と信頼感をもって語り合えるこんな時間は、今までありそうで中々経験出来なかったことだったと思う。
解散前の昼食時には葬儀を行う際の心得などの分かち合いもあった。その他、教職講座で理解できなかったことの補いであるとか、一つ一つが、わたしにとって有り難いと感じる一泊二日だった。
ある先生が「道北地区で、この、まったりした空気を経験すると他に行けないよー」と確か言われたような気がする。【まったり】とは『明鏡国語辞典』では、「①味わいがまろやかで、こくのあるさま。②ゆったりとするさま」と載っていた。
神さまありがとうございます。今の私にはこれが必要です。