3月11日(金)午前、倉敷教会で行われた信徒と牧師を交えた30人程の研修会に講師として出張。
「岡山県中部地区教会教育研修会」というのが正式名称。
風邪などで欠席が10名を超えた様子。でも、その方がよかった感がある。程好い規模になった。
光栄なこととは言え、講演と説教は同じように見えても色々と違いがある。
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表題の『木曜深夜2時』とは、木曜夜の祈祷会後もあれこれ準備をしていました、ということ。
正確にはレジュメができたのがその頃で、それから印刷をしたりしていたので時計は3時をまわっただろうか。
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「結婚式のスピーチは短い程よい」と言われるし、カトリック教会の説教「10分を超えると信徒さんからお叱りを受ける」等という話を聴く。
しかし、今回は、「全体で2時間の内60分~90分程のお話をお願いします」という依頼を担当者のHさんから頂いた。
これは、通常のわたしの説教の構成では応用がきかない。
まして、初対面の方も居られるので、心の架け橋をつくる関係づくりから始めなければならなかった。
幸い、プロフィールの「サッカーのゴールキーパーでした」に関心を持って下さる方の声が始まる前に聞こえて来たので、そこから始めた。
「転ぶのは上手いですよ。妻にも誉められます」と。
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主題は『 力は弱さの中でこそ ~福音を生きる道~ 』
日頃、牧会する旭東教会で語っていることと無縁のことを話せるわけがない。
いつも心にとめていることながら、「弱さや失敗、恥や躓きを安心して語れる交わり」をというメッセージも携えて行った。
〈霊〉に導かれたと確信するが、わたしが15年程前にしでかした結婚式の司式者としての大失態も語った。
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どれくらい大失敗かは、まだ、書き物に残すのは止しておこうと思う程のこと。
そして、教会内部ではなく、知る人ぞ知る、世に名だたる由緒ある結婚式場でのことだった。
それゆえ、ビジネスとしてはそのままではゆるされず「始末書」を提出したのだった。始末書を書いたのは生涯であの時だけかも知れない。
遅刻とか忘れていた、なんてことではありません。はい。
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講演会の終盤、前日夜の祈祷会前に大慌てで100円ショップに買いに出掛けた大判の付箋に「記して後悔しない程度のことで構いません。自分自身の情けない経験、失敗など、記せる範囲内でどうぞ」とお願いした。
時間も限られていたので、全てを分かち合ったわけではないけれど、お互いの学びと研鑽の一助になったら嬉しい。
ある牧師が「祝祷するのを忘れそうになりました」と記して下さったりと有意義だった。
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旭東教会からは92歳のK兄が同行して下さった。
「ご一緒してくださるとしたらKさんしかありません。よろしかったらどうぞ」と前日の夜お伝えすると、「勉強したいと思います」とのお言葉。
有り難かった。
当日は、最前列で傾聴して下さった。
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帰宅したその日の夕刻、K兄から電話。
そして、二日後の日曜日にも励ましのお言葉を挨拶代わりに下さった。
講演でわたしが「牧師も信徒も互いに誉め合いましょう。誉めてあげないとねぇ。高得点求めすぎなところがありますから」と伝えていたこともあるかも知れない。
「信徒だけでなく、牧師先生方のためにもよかったと思います」とのお言葉も頂けたことは幸いだった。
若手の牧師たちも喜んでくれていたようで、「『牧会百話的』な要素を感じました」とお二方から伝えられた。
わたしも少し歳を取り始めたと思った。
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資料として準備したものの一部に、以下の抜粋もある。
当然、この日、わたしが語ろうとしていたことと深い結び付きがある。
この20数年、折々に引っぱり出しては眺めることがあるもの。関心あればどうぞお目通しを。(もり)
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◆ファシリテーター・金香百合(きむかゆり)さんとの出会いより
※この方、文書や本の人では決してない。ライブで話を聴いて出会って考えるべき方。でも、この文章も深い。
自分の弱いところを見せるというのは、とても深い自己表現です。ふだんは閉ざしている心の扉を開いて話しているうちに、お互いの弱さをさらけ出せるようになるのは、いい対話といい人間関係でもあります。誰でも弱いところいやなところがある。それを隠す必要もあまりない。ただ自分がその弱さとうまくつきあえていたら、それでいいし、いつもそのことにチャレンジしたいいのです。
私は難聴で、補聴器をつけています。これは私の弱さです。でもこの弱さが強さなんですね。私は耳がよく聞こえないから、ずっと「きく」ってどういうことやろうと考えてきました。「『一四の心』で聴く」というのは、本を読んで得た知識ではありません。自分がやっている「きく」を分析したらこういうことだったのです。私の弱さが強さに変わったのは、それをあるがままに受容した時でした。
※『金香百合のジェンダーワークショップ』(金香百合・解放出版社)
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◆ノンフィクション作家 吉岡忍の言葉
まるでおとぎ話のように 「遠まわり」
どうしてそんなに旅行が多いの、と聞かれるたびに、私は言う。
「遠まわりしたいんだね、きっと。真実ってやつにまっすぐ向かうんじゃなくて、あちらこちらまわり道して、できれば、ちがうゴールにたどり着きたい。それが夢だな」
(中略)
あるときふと、踏み間違えたと気づくことがあるとしても、過去の足跡を消すことはできないし、消すことがいいとも思えない。いくらか長生きしたあとでできることは、過ちを自覚することだけ。その自覚の深さが、死の間際までつづく自己救済の努力を実らせる唯一の扉なのかもしれない。
(中略)
ノンフィクションを書く、という仕事の中で何百の現場を歩き、何千人の人たちの話を聞いてきたあとで、私にいまようやく確言できることがあるとすれば、それはとても単純なこと。――遠まわりが人を豊かにする、寄り道が人の魅力となる、まわり道が人の年輪を刻む、ということである。………あれからずっと旅がつづく。遠まわり、寄り道、まわり道が続いている。end
初出 朝日新聞 1996年(平成8年)10月6日(日)