1987年頃のことと思う。
私自身の〈献身〉を最初に相談した鈴木崇巨(たかひろ)牧師の著書に『牧師の仕事』(教文館)がある。
鈴木牧師は当時、東京の都市型の礼拝出席が朝で300名程の教会の副牧師を務めて居られ、青年たちにも慕われていた方。そしてその説教はさまざまに刺激を受け続けた方だ。
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先生のご本の『牧師の仕事』は「アーメン」と素直に言えないこともあれば、「まったくその通り、よくぞ仰ってくださいました」ということも含めて読み直すと面白い。
特に最終章だったか、牧師ならば誰でも考えざるを得ないことをズバッと言い切られている。
神学的な検討を先生のバックグラウンドを大切にしながら論じられているけれど、バルトやボンヘッファーとかトルナイゼンという人々の重厚なスタイルの本とは異質のもの。それゆえ、その方面の方々からは、あれこれ言われることもあったと思うし、今もそうかも知れない。
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でも、何も書かないで論評するよりも遥かにすばらしいことで、むしろ考える切っ掛けが提供されているだけでも有難いこと。
特に、evangelist=福音伝道者としての道を求め続けられたと思うところがある鈴木牧師らしさが、感化を受けた私からすれば本当に興味深い。
奥付を見ると、バリバリの現役牧師として仕えて居られた60歳頃に400㌻の書を世に問われた姿勢にも励まされる。その集中力は並大抵ではない。
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とは言え、最近手にした先生の小著(なんとノートの形をしている)『求道者伝道テキスト』の終わりの方にこういう言葉を発見して喜んだ。
「私は洗礼を受けて30年ばかりしてから、自分が本当に信仰をもっていることを感じました」とコラムと共に書き添えておられるではないか。何とほっとする言葉だろう。
タイトルにも掲げた『牧師の仕事』。次のような目次がある。ここでは帯から抜き出しておく。
「牧師」「召命」「按手礼」「着任」「日々の生活」「牧師の常識」「牧師の書斎」「礼拝の指導」「説教」「洗礼式」「聖餐式」「祭服」「祈祷会、その他の会」「訪問」「カウンセリング」「困難な問題への対応」「牧師批判への対応」「伝道」「教育」「運営と管理」「結婚式」「葬式・諸式」「副牧師の心得」「転任」「開拓伝道」「牧師の配偶者」「牧師の家庭と子供」「謝儀」「引退」
教区や教団、地区の働きというような項目が出てこないのも先生の伝道牧会スタイルの表れかも知れない。
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わたしはふと思う。
先生が記してくださった本の目次に無いものに〈整理整頓〉があるような気がする。
10年以上まえだろうか、神学校の同窓研修会の折りに5年程先輩の方が各地から送られてくる郵便物のことのみならずだと思うが、やはり〈整理整頓〉はすごく大事だし現実な問題として口にされていたのを思い出す。
今は亡き大先輩は、説教のための様々な切り抜き整理について語られたこともあった。
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そのようなことのみならず、牧師だけの仕事でも何でもないのだけど、時に「エイッ」と気合いを入れないと、捜しものの時間ばかり長くなり困ったことになる。
説教、聖書研究、地区、教区、教会と様々な書類や書籍の山が幾つにもなり始めると黄色信号が点滅し始めてしまう。
そう言えば実践神学の教授でもあった、故・今橋朗先生は、「雑用」こそ牧師の最大の仕事、という意味の事を授業の中でポソッと仰ったはず。(もり)