『君はいつ大人になったの?』
このタイトルにはずーんと来た。
そして読んでいって、そうだったのかぁ、と深く納得させられた。
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「君はいつ大人になったの?」
女優で随筆・エッセイストとして活躍している室井滋(むろい しげる)さんの言葉だ。
11月23日(月)の毎日新聞の『おんなの新聞 音痴でヘッチャラ♪』の11月号のタイトルだった。
切り抜いてデスクの横に置き、じっくり何かを考えたいと思いながら時を持てなかった。
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室井さんは前からわたしの気になる人のひとり。
彼女は高校に入学したとき電車通学だったため、「父からセイコーの腕時計を入学式の時に贈られたが、あれで確実に自分が大人モードに背伸びしたような気がする」と記している。
1958年10月22日(57歳)の彼女。わたしと二つ違いだ。
わたしの姉よりは一つ下。Wikipedia・ウィキペディアによれば、富山出身とある。
富山はもう、あの頃電車だったのか。
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大分市の田舎育ちのわたしたちはと言えば「汽車通」と言っていた。
いや、国鉄・日豊本線の「神崎(こうざき)駅」迄は、南に向かって電車が走っていたけれど、その先は電化されておらず、ディーゼル機関車、そして、小学生の頃は、普通に蒸気機関車・D51 が走っていた。
夏になるといとこがやって来て、カメラを構える意味がまったく分からなかったのだ。
おっと、現在のわが町の西大寺駅も含む赤穂線、そして3月までお世話になっていた北海道の宗谷本線は、今でも単線で完全には電化されていないはず。
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室井さんが高校生で腕時計を初めて手にしたとすると、私の方が中学1年の時から手にしたので、ひとあし先だったのかと気付く。
「君はいつ大人になったの?」
澄みわたった感のある問い掛けだ。
そして、振り返ってみれば誰もが自問できる問い掛けだ。
室井さんが記して下さった腕時計。
確かにわたしにも思いで深い事が幾つかある。
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わたしが腕時計をしたときに大人になる自覚があったのか、と言えばあるわけがない。
なぜ、あの1972年の4月に森家にとって旧知の時計屋さんがやって来て、家族総出で掘りごたつに足を入れ、机の上に腕時計を幾つか並べられ、「さぁ、どれがいいでしょう」と選ぶことになったのか。
やっぱり、汽車に乗って通うことになった、通称「附中」と呼ばれる中学校へのめでたい入学が契機だった。
当時はまだ腕時計は高価なものと考えられていたし実際そうだった。安い腕時計はあまりなかったのではないか。
デジタル時計も出始めの頃だろう。
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「時」というものを自身で管理するようになること。
これからはあなたが自分で考えて行動しなさい。
そう促されることは、確かに、我々にとって重要な転機なのだ。
そして、他にも幾つもあるであろう、「君はいつ大人になったの?」という問いに対する答えの中で、腕時計を通して考えて見ることは、味わい深い振り返りの時になることを知った。
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牧師館のリビングの片隅に、もはや会うことが出来なくなった家族の写真が、木製の書棚の上に並べられている。妻の父上も居られる。
そこには、1999年に41歳で召されて行った姉から贈ってもらった、動かなくなった腕時計がある。
大学を出て就職した時のものだったはずだ。
わたしの好きなミュージシャンが「WAKE UP」と歌う声と共にセイコーが売り出していたsilver Waveシリーズの腕時計。
ウインドサーフィンをしていたからかも知れない。傷が多い。いやいや、社会に出て、世の傷を自らも知りながら生きる道が始まったのはあの頃だろうか。
「君はいつ大人に…」と聞かれれば、「あの頃からすこしずつ」という答えもあるかも知れない。
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55歳になったわたしは、果たして大人になったのだろうか。
たとえおぼろげであっても、神を通じて、永遠の時にふれ、求めながら生きることは幸せなことだ。
「君はいつ大人になったの?」end