▼旭東教会から車で30分と少し。ブルーラインと呼ばれる自動車専用道を使って光明園家族教会の祈祷会奉仕に妻と出掛けた。
7月22日に最初の祈祷会奉仕に出掛けたあと、東中国教区社会委員会主催の現地学習会、宗教の立場を超えての合同慰霊祭、そして今回で4度目となった。
往き道、道路案内版に姫路まで68キロだったか表示。以前から姫路にお城を見に出掛けて見よう、という話をしていたので、ナビ入力を頼んでみると、山陽自動車道に乗れば1時間程。下道でも1時間半と知った。
思わず、帰りに行ってみようかと口にするほどの距離で、遠くないうちに出掛けられそうで楽しみ。
初めての光明園家族教会での奉仕の時はだいぶ遠くに感じたけれど、いつの間にか、距離感も変わり始めている。
途中、写真撮影をたのしみながら到着した。
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▼水曜午後1時から始まる祈祷会への参加者は数名。療養所の外からお出でになる(ハンセン病になったことのない、外部の私も含め〈壮健さん〉と療養所では言われる)会員の難波幸矢姉の礼儀正しい挨拶には恐縮だ。
祈祷会という呼び名が使われているけれど、ほぼ、礼拝に近い内容。
奨励は自分なりに新しい試みをしつつご奉仕させて頂く。
讃美歌は難波さんが大きな声で歌詞を先導される。これはとても歌いやすいものとあらためて思う。メロディーさえ分かって、しっかり聴き取る聴力があれば、歌詞を文字で読むのとは違う良さを感じる。
礼拝は10名程の出席者とお聴きしたが、最近はご病気のため視力を失い、国立療養所邑久光明園の職員の方々による介助なしでの出席は無理になった方が大半になってきたとのことだ。
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▼礼拝後は、ひろーい会堂の畳みに、白く大きな昔ながらの座布団を出して座り込んで語らう。
準備して下さるお菓子がまたその時間にピッタリでうれしい。お茶の時間も、初めての頃とはひと味違う交わりが生まれて有難い。
難波さんとは月曜日は東中国教区の伝道協議会で倉敷教会でご一緒し、火曜日の夜には岡山教会でキリスト者平和の会で同席。三日続きとなれば、近しい仲間になっていくのも当然かも知れない。
あれやこれや、本になった光明園家族教会の書籍となった歴史の隙間の出来事も含めてのお話も丁寧に聴かせて頂いて、フムフムとうなずき続けていた。
妻は教会へ来る切っ掛けを、夢の中のハンセン病の療養所関連の教会で見たことが切っ掛けの人で、殊更、神さまの深いご配慮を感じる。
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▼帰り際、引っぱり出していた折りたたみ式の机を姉妹、最長老91歳のK兄と握手しつつ耳元でご挨拶。
するとK兄はこう言われた。
「旭東教会はお隣の教会ですからよろしくお願いします」と。
そうか、そうなのだ。わたしは皆さんと隣人になる機会を頂きつつあるのだ。
「お隣」のひと言は、わたしの心の奥底に着地し、今も余韻をもって響いているのを感じる。
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帰り道もまた楽しかった。
虫明(むしあげが正式名も、むしあけとも呼ぶらしい)の町を通ってみようということで、当方の博士に倣って違う道を選んだ。
離合も大変そうな道もあるが、落ち着きのある町だ。
10月中頃と言えば、稚内に居た頃は初雪、冠雪、冬支度という時期だったので、何だか本当にうそみたいな感じすらある。まだ、背広も冬物には替えられない。
少し大きめの道に出たなぁと思いながら、トイレ休憩を兼ねて、道の駅に立ち寄った。その時は、まさかそれがブルーラインだとはまったく気がつかなかった。
そこで買ったみかんの美味しいことおいしいこと。もちろん安い。おそらく外見が今ひとつというだけで格安なのだろう。
さらには、マッシュルームの大きさと安さといったらない。もちろん美味しい。調べて見ると日本一のマッシュルーム産出地が岡山県。なるほど。
干して入れてくれた味噌汁の味が少し、いや、ハッキリと。しかも今まで味わったことのない旨味のある味噌汁に変わったのも驚きだった。
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その後、ブルーラインを降りて、瀬戸内市の邑久を抜けての帰路。黄金色の稲穂が本当に見事だった。
何度も止まってはシャッターを押す。これまた、稚内では忘れていた風景だった。end
※『週報』の「窓」大幅加筆版です。