『 旭東教会 牧師室便り』
2015年9月6日 4号
ぶどうと桃がおいしいですよ。そうは聞いていたが、実際、見てびっくり・食べてビックリが続いた夏だった。
葡萄はまだまだこれからが本番らしいが、衝撃とも言えるくらいの大きさや美味しさは本当だ。
昨年の夏までは、お盆過ぎになると急激に値崩れをし始める北海道のメロン半分を妻と二人、数百円で買ってきてはニコニコしていたのだが、土地が変わればというのは本当だ。
北海道では9月1日が秋鮭漁の解禁日だった。浜頓別を抜けて歌登の家庭集会に向かう途中、釣り人達がズラーッと棹をオホーツク海に並べテントを張っていたものだ。
岡山ではこれからどのような地の産物、海の産物に出会うことになるのだろう。
とは言え、少しばかり、北の産物が懐かしいと口にしていたら、応援団からホタテ、ウニ、蟹、ほっけ等など、見つくろって送ってきて下さった。(嬉)
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8月30日の『週報』表紙、《窓》の欄に、松山教会での研修出張の時に訪ねた道後温泉、そして、その真ん前にあるアーケード街のことを記した。
教会のホームページにはその増補版をいつもアップしている。
夜のアーケードなんてもの、大分の田舎の(遠浅の)浜辺の村に暮らしていた子どもには無縁・未知のものだった。
月か星の輝き位しか知らない私だった、と言うとオーバーかも知れないけれど、でもそう遠くはないと思う。
だから、ちびっ子だった頃の松山の夜は、アーケードがよほど眩しく見えたのかも知れない。
そして、今は亡き家族との何かを確認出来た幸いな時となった。嬉しかった。
亡き父も松高を卒業したと言う縁がある土地なのだった。
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松山教会が会場ということで、現在の主任牧師・上林(かんばやし)順一郎先生にお目に掛かれるのを楽しみにしていた。
75歳になられ、来春には隠退とお聴きしている上林先生。
東京の早稲田教会の牧師を長年務められたあと、群馬県の教会を経て、5年前から松山教会の牧師をされている。
上林先生は11月22日の特別集会にお招きする関田寛雄先生の後任として、私の母校日本聖書神学校や聖公会神学院で「説教学」を教えておられる。
確か、現在も神学校での講義のために飛行機で通勤されているはず。
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私自身は関田先生の教え子のひとりなので、上林先生に教えて頂いたことはない。
だが、今回、持参し記念に署名して頂いた先生の本『なろうとして、なれない時』(現代教養文庫・1989年)を帰宅後読み直したところ、感慨深いものを胸に抱くことになった。
先生の説教は礼拝にも出席したことがないので、ライブでは一度もない。ただ、キリスト新聞社から発行されている季刊誌の付録のDVDで前橋教会で説教されている様子を見ることが出来た。
そして、説教をめぐるインタビューを受けているのに触れた。
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なぜ松山に出掛けて、感慨のようなものを胸に抱くことになったのか。
何も、上林順一郎という方に会えたからではない。
わたし自身が、上林先生の説教から色んなことを学ぼうとしていていた時代があったことを、本をパラパラと読み進めるにつれて思い出したからだった。
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本の題名ではないが、先生を真似ようにも「なれない」ことばかりであることは分かっている。
だが、何であれ、倣いたいと思うような方の存在は本当に有難いなぁと思った次第だ。
どんなところを学ぼうとしていたのか。
今は内緒にしておこうかなぁと思う。まっ、たいしたことではないのだけど(笑)ご機嫌ようend