2015年7月27日(月) № 192 『「K子プロジェクト」が意味すること 』

夏到来、の夜、花火を見に行った帰りにふと思いたってシャッターを押した。
夏到来、の夜、花火を見に行った帰りにふと思いたってシャッターを押した。

 『「K子プロジェクト」が意味すること 』
                                   旭東教会 牧師 森 言一郎

※「東中国キリスト者障害を共に学び共に担う会」から『シャローム』誌への巻頭メッセージの依頼を受けて過日お届けしたものです。

 

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主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。
                            (ルカによる福音書 14章23節)

 

はじめまして。4月から岡山市東区、1969年までは西大寺市と呼ばれていた地域にある旭東教会に日本最北の町稚内から参りました森言一郎です。旭東教会でも「きしょうきょう」という言葉がときどき聞こえて来ます。

 

少し難聴傾向のある私には「気象庁」とも聞こえましたし、ワープロ変換がヘンテコになると、「気性凶」とも出ました。

 

あらためて『シャローム』誌をじっくりと眺めると、「東中国キリスト者障害を共に学び共に担う会」という意味深い名が正式名称なのですね。学ぶに留まらないところが素晴らしい!ゆっくりとご一緒させて頂きます。

 

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旭東教会に赴任してから出会ったある牧師の先輩からこう語りかけられました。

 

「インターネットで公開されている森先生の説教をときどき聴いているよ。でも、掴みだけで10分。まったくもぅしょうがない。そのあとの話も、どこか摘まみ取ってネタにでもと思うんだけど、これが全然使えない。西大寺のどこそこに出掛けて・・・・・・なんてことがしょっちゅう出てくる。困ったもんだ」と。

 

この説教原稿も既に400字を越えていますが、実は私、会長の難波幸矢さんから「いらっしゃったばかりなのにすみません。原稿お願いします」という電話を受けたとき小さな抵抗をしました。

 

「せめて例会か何かに一度でも出席させて下さい。皆さんの顔が思い浮かぶようになって、それから・・・・・・」と。かないませんでしたが。

 

直前に紹介させて頂いた先輩の「森の説教は使えない」というお言葉。私にとっては最高の褒め言葉と受けとめました。

 

それは、どこででも語れる説教は説教ではない。読みものとしての説教も説教にならないのでは、というのが牧師として20数年歩んで来ての現時点での結論だからです。

 

この『シャローム』での言葉も、説教になり得ないことを恐れます。ですから、一つの出会いと取り組みをご紹介して、務めを終わらせて頂きます。

 

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冒頭に掲げましたのは、主イエスによる「大宴会のたとえ話」の終わりの言葉です。ここでの「宴会」。それは私たちの「礼拝」であり「教会」そのものです。

 

いつでも礼拝に行ける。また次があると考えていた人々はそれらしい理由をつけて「宴会」には足を向けませんでした。約束を破ったのです。

 

主人であるイエスは、この時、怒りを露わにして言われました。【通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ】と。

 

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私は今、小さなプロジェクトを立ち上げ、じわりじわりとそのプロジェクトを深めて行こうと努力を始めました。

 

これが楽しい。役員会に報告して命名したわけでもありませんから、身勝手な取り組みですが、それでもキリスト者のわざと信じて励んでいます。

 

それは「K子プロジェクト」といいます。
 
K子さんの体調は決して思わしくないですし、歩くことすらままなりません。福岡から引っ越して来られてから5年程のはずですが、入退院が続いています。

 

旭東教会には福岡県の教会から2012年7月に転入会。しかし、思うにならないお身体のこともあり、教会からも礼拝からも遠ざかっておられました。

 
しかし、不思議なお導きがあるものです。K子さんと私。なんと以前からの知り合いなのです。詳細を記すいとまはありませんが、一度だけ、K子さんがまぶしく輝いていた頃に、私はお目に掛かっていました。

 

あれから15年以上が経過して再会したのです。「ベッドから簡易トイレに移る時必ず看護師を必ず呼んで下さい」と叱られる程に弱られているK子さんがベッドの上におられた。

「このままじゃ息子に迷惑かけるばかり、だから……」とK子さんはお目に掛かると度々口にされます。

 

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福音書の中に、担架に乗せられた、ある障がいをお持ちとお見受けする人が、4人の人に運ばれて来て、会堂の屋根をぶち破ってイエスさまの所に吊り降ろされる物語があります。

 

私たちは今、あのみ言葉を生きる者に本気でなりたいと願っています。何としてもK子さんと教会のみんなと同じ空間でご一緒したい。それが「K子プロジェクト」です。

 

そのプロジェクトを牧師独りで出来るはずがありません。ですから、昨年のクリスマスに受洗された3人の方たちをお誘いし、長老と共に入院先のお部屋を訪ねて、K子さんとお話を始めました。

 

K子さん、「恥ずかしいなぁもぅ」と言われながらも、お話をしていると顔色がみるみるよくなります。

 

元々、お身体は不自由でもお口は軽やかに回るK子さん。訪問者の一人が、くしくも「おしゃべりセラピーですね」と命名したように、おしゃべりは癒しの力を生み出します。そして、不思議なほど、人生のたいせつな事柄について思いめぐらさせられる会話が引き出される空間が生まれるのです。

 

それがK子さんを囲む時に私たちが経験している出来事です。

 

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これは私たちの宣教のかけらに過ぎないかも知れません。しかし、そのかけらに、私は重みを感じています。

 

目標を抱きながら生きる時、私たちは希望を見いだせます。新しく生まれ変われるのです。K子さんだけではありません。誰もが同じです。
 
だから、【無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ】というイエスさまのお言葉を真に受けて、私たちは少しだけ無理してみたい。ちょっとの勇気を持ち直したい。キリスト・イエスのお言葉ですから、やってみようと思うのです。end

上の写真は、本Blogの内容に重なる説教をしたときのものです。

http://kyokuto-words.seesaa.net/で聴くことが出来ます。K子さんの声もアップロードしています。

 

 

 

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