経済評論家でTVのクイズ番組などにも出ているらしい勝間和代さんという方がいる。
我が家にはTVがない。そのため、勝間さんのTVでの活躍は当然知らない。
きょうの大相撲夏場所、新大関照ノ富士と白鵬戦は携帯の数インチの画面で見つめていたし、女子のワールドカップサッカーもそうだった。
勝間さんの無料メルマガを読み始めてかれこれ5年以上。
全く違う分野で、そうとうに活躍しその実力も認められ、さらには麻雀、バイク、ゴルフと遊びも大切にする彼女の発信に、なるほど、と思わされることも少なくない。
何より、彼女のブログ。毎日の発行で、しかも、わたしのものと違って短くて直ぐに読み終えられる。
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7月15日の勝間ブログにはこう書かれていた。
【元気に生きていられるのも、あと30年ちょっとでしょうから、毎日、これからの残り人生の何パーセントを何に使うのかと思うと、いろいろ悩みますし、考えるところが大きいです。
なので、最近決意しているのは「自分が望まないことに時間を使わないこと」です。もう、死ぬまでのカウントダウンが(私の中では)始まっていますから、余計なことに使う時間が無くなってきました。
加えて、いつ死ぬかわからないと思っていますから(実際、同級生や身近な方が亡くなってくることがふえてきました)
「迷ったら、やってみたいことはやってみる」ということにしています。お金をお墓にもっていけるわけでもないし、また、いつ、明日から動けなくなるかわからないわけですから……】
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この号、妻に紹介した。すると、いつもより良好な反応。
そして勝間さん自身の最近のBlogに、【こちらのメルマガが、各所で反響が大きくて、驚いています】と補足があった。
わたしたちの年齢、つまり50歳前後になると、このような気持ちになるのは考えて見ればもっともであるし、考えなければならない、と本当に思う。
60、70、80とならなければわからない領域があるのは当然のことだろう。
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しかしその一方で、無駄と思うような時間も必要だし、これまで経験してきたように、「遠回り、回り道、寄り道」が、人生の肥やしとなるのも本当だ。
イエスは最後まで、「遠回り、回り道、寄り道」路線を進まれたようにも感じる。
何より今の自分を形作り、聖書の読み方や説教のことばに、この「遠回り、回り道、寄り道」が明確に影響していることに最近気付いている。
とは言え、勝間さんの言葉を自分なりに解釈すると、50台も半ばの我々は、そろそろ、「遠回り、回り道、寄り道」ばかりはして居られない、ということを自覚しなければならないのだろう。
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そんなことを思っていたら、今度は、勝間さん。
【コネと実力、どちらが大事かという話がありますが、私はコネファースト、実力セカンド だと思っています。なぜかというと、コネがないと、そもそも「実力を発揮する機会」すらえられないからです】というメールを送ってきた。
【特に若い人は「コネ」を馬鹿にする傾向があると思いますが、ぜひ、「コネファースト」を肝に銘じて、コネ作りに励んでほしいなぁ、なんて思ってしまいます。】と続けるのだった。
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今のわたし。
ビジネスの社会に生きているわけでもなく、彼女の言葉をそのまま鵜呑みする必要もない。
だけれども、実は彼女の発信は、そうとう考えさせられるものだと思うのだ。
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「コネ」とは人間関係のことであり、まさに、人と人の出会いの足跡からしか生まれないものだと思う。
だとしたら、「コネ」とは実に豊かな財産。
しかも、よそさまのコネの恩恵にあずかるのではなく、自身が汗をかいて涙を流してきた出会いの中で、時を経て濾過されて残っている「コネ=繋がり」は、実に貴重なものだと思う。
あるフォークシンガーが、【見知らぬ人の傷みも 見知らぬ人の祈りも 気がかりにならないだろう 見知らぬひととならば】と歌っている。
偶然ではなく、わたしが大切にしたいと思い、実際そうしてきたものは、イエス・キリストを通じての関係性の中での出来事であり、勝間流に、世間の言葉で言えば「コネ」なのかも知れない。end