祈祷会に出席して下さる方たちが朝が9名、夜は11名。合計で20名。そのうち、私と妻は両方に参加なので正味は18名となるか。
都心の礼拝出席数百人の大きな教会でも、場合によっては数名の祈祷会があることを思うと、礼拝出席40名と少しの我ら旭東教会は何と素晴らしい出席率だろう。
しかも朝の部には89歳と91歳の女性。さらに夜の方は91歳の男性が参加して下さる。
最北の町稚内では一人で過ごす祈祷会も多かった身。
ほっぺたをツネって、これは何かの間違いで夢なのではないか、と確かめそうになる。
夜の部の締めくくり。主の祈りを祈るときなど、その力強い祈りに包まれ、それだけで元気を頂ける。
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稚内を旅立って一ヶ月。
元気を失っていた妻も、古くからの友との再会を経て岡山入りし、徐々に回復しつつあることも感謝だなぁと思う。
美樹さんが元気になるならばと送りだして下さった稚内の方たちにも喜んで頂けることだろう。
数日前から、引っ越しの荷物を積み込んで以来お休みしていた就寝前のステップ運動=ダイエット運動もする時間ができるようになった。先週までは、とてもそんな時間も余裕もなかったが、定期教会総会も終えてほっと一息できるところに辿り着いた。
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お訪ねしてお話を聴かせて頂こうと思う会員、そしてその周囲に居られる皆さんとの出会いはこれからが本番。
「森さんも決して飛ばすなよ」とメールで言ってくれる遠方の友の言葉が有り難かった。
全くそのとおり。
そう思うと同時に、飛ばすのではないけれど、最初が肝心というのも本当のところで、力みはしていないけれど、毎日ねじを巻き巻きの日々が続くだろう。
まぁ、妻に叱られ、神さまにストップをかけられたりしながら、俺らしく進むしかないと思うのだ。
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ところで、わたしには母の姉の敦子おばちゃんという人が居た。敦子おばは1994年に召されているのでもう21年。
ある時は母のように、ある時は友として、また、姉のように、わが心を聴き尽くしてくれる存在だった。
その伯母が、たぶん社会人として働き始めた頃か少し前に、立派な印鑑を買ってくれた。銀行印と実印のセットというやつで、おそらく、だいぶ高価なものだったと思う。
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その印鑑セットを手渡してくれた頃に、確か伯母にこう言われたような気がする。
「言ちゃん、あなたは、歳を取ってからが良いって。大器晩成って言われたよ」。
敦子伯母はキリスト者ではなかったので、想像するに、心配ばかりかける可愛い甥っ子のために開運印鑑のようなものを求めた時に、然るべきその道の先生に何かを尋ねたのかも知れない。
何であれ、心配しつつ見守ってくれたその心は、今もわたしを支え続けてくれている。
伯母ちゃんも、両親も、姉も、祖父母も、「回り道・寄り道・遠回り」が多かったわたしのことを、今も天国から祈ってくれていると身勝手にでも思っていると、嬉しい気持ちになるのだ。
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大器でもないし、そうなりたいわけでもない。
でも、晩成というのはなかなかいいじゃないかと思う。明日からもがんばります。end