2014年12月8日(月) №170  『 嬉しくて嬉しくて 』

2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。
2014年12月8日(月)にオホーツク方面の枝幸町から20㎞の歌登の家庭集会にてパチリ。「ふらたま」とは「ふらっと たまり場」だそうで、さいたまで教師をして居られたご婦人が酪農家とご結婚されて、歌登でずっと続けている会のチラシ。今では、教育の世界で知られる新聞から取材を受ける程の年月を経ているとのこと。素敵な呼び名です「ふらたま」。子どもたちの遊び場を提供しているそうです。これはこの時代のキーワードかな。

日曜日の礼拝に出席していちばん心に残ること。

 

それは何だろう。

 

教会堂から一歩踏み出して、その日の礼拝を思い巡らしてみて、あるいは週の半ば頃になって振り返ってみて、それが説教である、という場合も(たまには)あるかも知れない。

 

そうだとしたら、それはとても素晴らしいことだと思う。

 

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日曜日の教会を思い出してこころあたたまることが第一にあったら、それは何と幸いな事かと思う。

 

あたたかな言葉掛けを受けることもジンワリ嬉しいものだと思う。

 

笑顔にふれるのも嬉しい。

 

この賛美歌を歌うのは初めてだったけど、いいなぁと感じることもある。

 

誰かの祈りに触れて、いつか自分もあのようなお祈りが出来るようになると嬉しいなぁ、という場合もある。

 

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昨日アップした教会のブログに記したのだけど、「みんなで食べるとおいしいね」という声が聞こえた、「分かち合いお弁当の日」と呼んでいるお昼ご飯。

 

これは長く根付きそうな会になりつつある。

 

「みんなで食べるとおいしいね」という言葉に深くうなずいたり共感する方たちが幾人か居たのを感じた。

 

それほど、おいしくあたたかな何かを受ける時間なのだと思う。三平汁のおいしさ以上においしいことがあるのだ。そのお昼には。

 

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そう。

 

かく言う自分も、信仰生活というものを自覚的に始めていた頃に、自分を育てていってくれた有り難い空間と時間があった。

 

それが、中央区銀座にある教会の、早天祈祷会後の「朝食」だった。

 

恩師のF牧師も、人は食べた時のことは忘れない、と言われていた。今は天国に居られる。

 

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神学生の頃、わたしは練馬区に暮らしていた。

 

早天祈祷会は午前7時に始まる。なんと、その祈祷会に出席するために、わたしはアパートを6時半に出発して間に合っていた。とてもではないが、西武池袋線と丸ノ内線を乗り継いでいたら、1時間は軽く越える時間が掛かるだろう。

 

当時、郵便配達の方々が乗る、HONDAのカブという90㏄のバイクに乗って都内を移動していたのだけど、何と、神学校のある目白をぬけ、水道橋を抜け、皇居付近を駈け抜けて、7時少し前に銀座にある教会にたどり着いていた。

 

午前7時前の東京は、実はこういう移動が可能なのだ。おそらく今も。東京って。広いようで実は狭い町なのだとその頃知った。

 

バイクで飛ぶようにして都内を駈け抜けていたのだなと思う。いろんな意味で恐ろしくもあるが。

 

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早天祈祷会は7時に始まり8時に終わった。

 

そして、教会堂の5階にある台所のある大きなホールに時間にゆとりがある方々(つまり、直ぐに出勤しなくてもだいじょうぶな方)が移動し、長いテーブルを数本組みあわせて朝食を頂いていた。

 

一食200円位箱に入れていたような気もするけれど、定かではない。

 

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毎週、ご婦人達が持ち寄ってきて下さった定番のおかずが並んだ。

 

当時最年長だったはずの武上さんのアジフライ。

 

素晴らしい習字の看板書きをされていた森岡さんの京都の湯葉の煮付け等もおいしかった。


主任牧師である鵜飼勇牧師がかき混ぜて下さる納豆も嬉しかった。

 

神学生時代の4年間、毎月本代を(あくまで名目ですが)「もりくん」と言って封筒を差し出してくださった小沢さんは、グレープフルーツを絞るところから手をかけて、グレープフルーツゼリーを毎週、みんなのために作って来て下さった。

 

いやいや、今は、福島の教会を経て都内のとある教会の牧師をされているSさんがチューブをしぼってお湯を注いで頂く永谷園のお味噌汁も、皆で頂くとおいしかったのだ。

 

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その交わりは、朝の礼拝出席者が300人前後の大教会のイメージからすると、まったく似つかわしくないとも言える、家庭的な雰囲気の食卓だった。

 

たいそう居心地がよかった。複数の牧師や伝道師の先生方と気さくに並んでの食卓は楽しかった。そしてわたしは、そのような教会の神の家族としての交わりによって育てられた、と思う。

 

早天祈祷会の聖書の学びが頭に残ったことは、正直に言えば、ほとんどなかった。理解力の問題かも知れないし、いつも睡眠不足だったのかも知れない。

 

でも、とにかく、早天祈祷会の後の食卓は、今も心に残り、染みついている。

 

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昨日の稚内教会の礼拝に10代の青年が礼拝に出席してくれた。礼拝で彼を見るのは数ヶ月ぶりだった。

 

礼拝後、食事が始まる前の集会室に座っていたので声を掛けた。

 

すると、「きょうは食事に残るのは無理ですが、クリスマスは、だいじょうぶだと思います」と笑顔で教えてくれた。

 

そう。

 

教会の食卓で何かにふれて、育つっていく若者になってくれたら嬉しいなぁと思う。

 

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礼拝中、青年は確か一度、礼拝堂から出て行って姿が見えない時間があった。

 

その時は、それがなぜだかは不明だった。腹が痛くなったのか、とも思ったりもした。

 

ところが、それは違っていたことが夜わかった。

 

何だかは、ここではあえて記さないけれど、彼を迎えに来て下さった親戚のおばさまから夕方送信されたメールに理由が記されていた。

 

「こんばんは、・・・・・して下さり、ありがとうございました。嬉しくて嬉しくてトイレで泣いたそうです」と。

 

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わたしは、昨日の説教で、マクドナルドのメガマックの話をした。あの話で、彼とeyeコンタクトはとれたけれど、その話で泣いたのではないことは確かだった。

 

聖書の一句の解き明かしが、青年を泣かせたわけでもない。

 

でも、でも、確かに、み言葉の出来事があの時間に起こっていた。

 

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神さまって凄いなと思う。

 

そういうことが起こるからわたしは礼拝から離れられない。教会が好きなのだ。

 

モヤモヤしてどんよりと重い雲が吹っ飛んで、瞬間であっても、確かに晴れやかになった、ショートメールを通じての福音が心に届いた。

 

わたしも嬉しくて嬉しくて、神に感謝。end

 

 

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