いささか辛いことが重なる旭川往復の出張に、日曜日から月曜日の深夜にかけて一泊二日で出掛けた。
急な用のため、宿の手配もする間もなく、宿泊先は旭川豊岡教会の韓守賢(ハン スヒョン)牧師に相談し、ご厚意で、教会学校のお部屋となった。
貸し布団をわたしが手配。
疲れもあって、短時間だが熟睡出できた。助かった。韓牧師夫妻のご厚意で朝食も昼食も十分なものを準備して下さったことも、心に染みた。
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旭川豊岡教会は、この時期の恒例らしい、ザーの準備を進めているところだった。
使わせて頂いたお部屋には、例えば、婦人ものの着物が幾枚も物干し竿にぶら下がっている状態。着物を扱うバザーがあるなんて。
今の時代に、これほど活気がありそうなバザーは珍しいのでは、と驚いたものだった。
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ちょっと時間が出来た時、寝泊まりしていたお部屋に入ろうとしたときに目にとまったものがあった。
男物の背広、そして、ジャケットだった。
バザーのお仕事会のメンバーが隣の部屋に居られたが、何気なくジャケットの袖に手を通してみた。
何とまぁ、ほぼピッタリのサイズではないか。
では、と思い、勢いで渋い茶系のスーツも手にし、こちらは当然ズボンもはいてみた。
その作りは、かつてわたしの父がオーダーのスーツを田舎のとある洋服店のお父さんが仕立てていたものと同じような作りだと直ぐにわかった。
久しぶりに感じる、昔ながらの、上質な仕立てだった。仮縫い付きの仕立てだと思う。
上着の内ポケットには【CUSTOM MAID MARUI IMAI】という縫い付けがある。北海道では良く知られている百貨店でオーダーされたのだろう。
そして、名前は「佐藤」と刺繍されていた。
上着もズボンも、もう少しダイエットすれば、わたしにほぼ完璧にピッタリ。ズボンの長さも違和感は全くない。
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今、わが家では、とてもじゃないけれど、オーダーでスーツを作る勇気はない。というか、先立つものがない。
「黒色の背広だけでなく、少し違う色目のものがあるといいねぇ」と妻が話していたが、夢のような話で、現実味は非常に薄い会話だと、二人ともわかっていた。
背広の前ボタンも留めて、バザー準備のお仕事会に参加しているご婦人たちの近くに行った。
「こっこっこれ、に、に、200円なんですか?」と尋ねた。
「あーら、先生、背広を着てどちらかにお出掛けと思ったら、売り物だったのねぇ。200円ですよ」
「森せんせい。神さまいたでしょ」
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いやはや驚いた。
神さま居られた。
スーツのズボンのポッケを探ると、仕立てた年らしき「1993」という数字と番号が記入されたちいさな布が縫い付けられている。
殆ど袖を通さなかったのだろうか。少しのヤレも感じられないし、古さも感じさせない背広なのだ。
20年も前に、こんなにダンディーに仕立てるとは、「佐藤さんって、めっちゃオシャレな人だったのか」と思わせるもの。
そう簡単にはピッタリの人はいないはずの仕立てた背広。オイラとほぼ同じ背丈のひとだったのだなぁ、佐藤さん。
神さまからのねぎらいの背広と受けとめたい。
二度と起こらないだろうな、こんなこと。end