ある約束をしていた男が居る。
金を返してもらう、なんてことではもちろんない。
年に一度、もしくは、二度。顔を合わせるその男と、これまで何時間を二人だけで一緒に過ごしただろう。
どう長く見積もっても、半日も一緒には過ごしていない。
が、どういうわけか、気が合うというのか。
それこそ「馬が合う」というやつか。
年はその男の方がたぶん下である。
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男は、昨年来の約束が適わないことを詫びるメールを送って来ていた。
もしかすると忙しいから今年は無理か、と思ってはいた。
残念だなぁと思いながら、休日の午後だからのんびりしているかな、大丈夫だろうと思って電話をした。
すると「もしかしたら、電話をいただけるかなぁ」と思っていました、と男は言った。
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しばらくのおしゃべりの後、わたしはこう言って受話器を置いた。
「これからも、弱音を吐き合いながら・・・」と。
そして、こう思った。
これで、かの男とはしばらくは何も無いだろうな、と。
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ところがである。
牧師館に戻り、夕飯前にたまたまメールチェックをすると、ヤツから何やら届いている。
【早速のお電話を有り難うございました。嬉しかったです。 短く祈らせて頂きます。
祈ります。・・・今日は久し振りに森先生と共に語らいのときを与えて下さり深く感謝を申し上げます。
私を北海道の地に遣わして下さり、そして森先生を北海道の地に遣わして下さったことで与えられた出会いです。その森先生が・・・今、・・・痛みを私に語って下さいました。】
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わたしも時に、電話口で祈ることがある。信徒の方の場合が多い。
が、このメールにはグッと来てしまった。
「お祈りしていますから」という言葉ではなく、祈りの言葉をつづってくれたのは、この男が初めてだったような気がする。
男は、妻の骨折にまつわるあれこれを含めて祈ってくれた。
わたしも嬉しかった。
そして、男の愚直さが好きだし、教えられるのだ。
返信にこう書いた。
【お祈り、一太郎の添付ソフトの、読み上げできるもので、男性の声にして、二人で心傾けました。泣きました。感謝だなぁ。心から、アーメン。感謝します】と。
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短いやり取りなのに、余韻が今も残る。
祈る男に泣かされた私はちいさな幸せを知った。end