稚内教会には関係者を含めて酪農家が数家族居られる。牛飼いの仕事をされている方たち。だいたい、朝5時前後には起き出して搾乳、糞の始末、餌やりなどの一連のお仕事が始まるようだ。
たぶん、9時半か10時くらい迄は朝の仕事が続くはず。
日曜日も祝日も関係なく、その仕事は1年365日続く。お休みするとしたら、ヘルパーをお願いするか、余程頼りになる親族が身近に居るかでなければ、家を離れることは出来ない。
つまり、日曜日の礼拝に出席するには、そのやり繰りを何とかするか、余程、教会が近くなければ無理になる。
きょうここでご紹介する歌登の酪農家の〇〇家の芳子さん。嫁いできて20年間は夫婦で家を空けることはなかったそうだ。
農協の抽選で当たった、かつての後楽園球場の巨人戦の開幕試合まで、一度も夫婦揃ってやすむことはなかったそうだ。
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わたしは、その〇〇家の家庭集会に、冬場をのぞく期間と牧草ロールの繁忙期を除いて、一ヶ月に一度出掛けることがたのしい。
もともと、まずもって、車を運転していることだけで心がうきうきしてくるわたしにとっては、歌登の家庭集会の行き帰りの道は最高の気分転換の時間となる。
地元の方たちには説明するまでもないことだが、歌登まではオホーツク海沿いのほぼ一本道を東進して、まずは枝幸を目指す。
そこまで110㎞。どんなに車が少ない道でも、高速道路というわけではないし、安全運転を心掛けると、2時間弱は掛かるのが普通だ。
枝幸は、ひらがなにすると「えさし」。
この地名をNHKのアナウンサーが放送で呼ぶときは、ルールがあるのだろうか、「北の枝幸」と言う。函館に近いところに、もうひとつ「江差」があるからだ。確か、こちらは「南の江差」。
「北の枝幸」は蟹の漁港として知られる。南の「江差」も明治末期頃まではニシン漁で知られたと聞いている。
歌登の〇〇田家は、枝幸から内陸に向けて約20㎞。時間にして20数分は掛かるところにある。
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歌登へ出掛ける時には、幾つかの楽しみがある。
最近は、半ば趣味のようになってきたカメラも必ず助手席に置く。晴れの時ばかりではないが、いつ、思いも寄らない空や雲、そして、樹木や動物が目にとまるかはわからない。
勿論、お天気が程ほどに良ければ自ずと心が弾みだす。
稚内近辺からも澄み切った空気の時には見えるのだが、帆立貝で有名な猿払(さるふつ)辺りからサハリンの島影がハッキリと見える日もある。
40数㎞の先にロシアが見えるのは、何とも不思議な気分だ。
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秋の訪れの頃、枝幸町から歌登までの20㎞程の一本道は夏とは違う白樺並木彩りが見事だ。
雪の積もりはじめの頃も嬉しくなるが、昨秋に、宗谷岬でスリップ事故を起こして車も大破して以来、「雪道の遠出はやめて」と妻から言われている。
家庭集会が終わり、ホッとしての帰り道は、季節が良ければ浜頓別のクッチャロ湖にも行きたくなる。羽を休めている数え切れないほどたくさんの白鳥たちのみならず樹木と湖畔の絶妙なコントラストに心が癒される。
クッチャロ湖近くの宿に一泊して、深夜、夜空をながめると、本当に星が空に散りばめられて降り落ちて来るようだ、と聞いている。
だから、テントを張って湖畔で過ごす人たちのスポットとしても知られている。
いずれにしても、カメラを手にして、どこかに車を止めては撮影なんてことをしていると、時計の針があっという間に進んでいくのだ。
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普段は、10時前に牧師館を出て、とにかくお昼までに枝幸町の中心にある道北の百貨店西條さんの駐車場到着を目指す。
駐車場に滑り込むと、まずはお弁当を開いて一休みだ。まっ、それまでもトイレ休憩を含めて一休みはしているのだけど、とにかく、お昼休みは西條さんに決めている。
NHKラジオのお昼のニュースを聞きながらの弁当と思うのだが、オホーツク沿岸は電波事情が今ひとつの所が多く、電波探しに少し時間が掛かることも多い。
食後は、西條さんの中の本屋さんに立ち寄って、お気に入りの本を探すことも楽しい。そして、手洗いによってから午後一時、気合いを入れて再び出発と相成る。
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甘党のわたしのもう一つの楽しみがある。
かつて、浜頓別や中頓別にご主人の転勤の関係で暮らして居たことのあるT姉が、ある日、教会の皆さんにお土産としてもって来てくれた「松の実最中」がわたしを呼ぶのだ。
浜頓別の商店街のまん真ん中にある「松屋さん」。最近は稚内の老舗・相沢食料百貨店さんの日本各地の銘菓を並べる特売の時にお声が掛かるようで、ここ2回ばかりチラシに名前があるし、そうなると、わたしは、どうしても相沢さんに出掛けてしまうことになる。
「松の実最中」。
あらためて考えて見ると和菓子にしては珍しいと思うのだが、重みすら感じる程にずっしり詰まった本格的なあんこを堪能できる。
一個150円。安すぎではないか。
歳を取ってきたからか、買い物するときに、あれこれとお店の人に話しかけたくなることが多いのだが、先だっては、いくら呼んでもお店の人が誰も出て来なかった。
ようやく息を弾ませたお父さんが顔を見せると、「今、仕込みでちょっと手を離せないから」と言われた。
なんだか嬉しくなった。
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8月19日(火)の〇〇家での家庭集会は、その道中からいつもとだいぶ違う一日となった。
8月10日(日)の礼拝にお出でになっていた、A典子さんを、浜頓別の斜内小学校の旧・教頭住宅からお乗せしたからだ。
なんとその家はT姉ご一家が浜頓別で暮らしていた時に暮らしていた家だった。典子さんは、大阪府富田林市の教会の熱心な会員さんなのだが、素晴らしい教会音楽家であることを、礼拝にお出でになったあとに知った。
2004年に米国ボストンのバークリー音楽学院を卒業。その後、有給の黒人教会の専属ピアニスト等をして活躍した方だったのだ。
帰国後12年を経て、現在は、考えるところがあるらしく、北海道内各地で体験移住しながら音楽活動をして居られる。
その活動の様子は、以下をクリックするとわかる。
http://asaminoriko.jimdo.com/
また、道内での、体験移住の日々は、以下にBlogがある。
http://hokaidoiju.jugem.jp/
〇〇家での証し、網走刑務所を吉本新喜劇で大活躍された故・岡八郎さんの娘さんのゴスペルシンガー・市岡裕子さんと慰問し伴奏されたそうだ。
市岡さんの証しも含め獄中の聴衆も刑務官も涙涙だったとのこと。わたしたちも聴かせて頂いてじーーん、と来た。
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この日、〇〇家には、Aさんから小学生の頃にピアノを習っていたお弟子さんの麻依さんという、関西の大学の数学研究の専門家(博士課程後期在学、同時に、特別研究員としてお給料ももらっていると言う)のお嬢さんもご一緒してくれた。
昼食を三人で食べるところから、楽しくあれこれとお話が盛り上がったのだが、この方のまた、素晴らしい志をお持ちで驚いた。
将来は、ブルガリアかチェコという、ヨーロッパでの経済的にはあまり豊かではないけれど、真実な豊かさが秘められている国での生活を目指しているのだそうだ。
だが、その前に、季候が東ヨーロッパに近い北海道で、お金はそんなになくてもいいから、ヨーロッパでの暮らしをイメージしながら準備期間として過ごし、それから先は、ブルガリアを目指すというのだ。
お付き合いしている彼氏もちゃんと居られるそうだが、自分がたいせつにしたいと考える暮らしの在り方がこれからの人生でも優先だ、という意味の事を彼女はハッキリと口にした。
素晴らしい!
でも、そんな彼女も、中学生の頃は、安室奈美恵さんに憧れて、ダンスと歌のスクールに熱心に通っていたというのだから、人生わからない。
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さてさて、歌登の〇〇家での家庭集会である。
典子さんは、お願いしていた奏楽のためのシンセサイザーとスタンドスピーカーを、到着すると直ぐにトランクから運び出してセット。
いつもはヒムプレーヤー(教会から持って来る讃美歌自動伴奏機)なのだが、この日は、生の演奏付きの讃美歌を堪能しながらの豪華な家庭集会となった。
アメイジンググレイスも歌ったのだけど、黒人教会風の伴奏もして下さったりして、心躍る時間となった。典子さんにとっても一般家庭の居間での演奏は初めての経験だったそうだ。
〇〇さんご夫妻と、ご主人のお母さま92歳のすゑのさんを交え、魂に響く奏楽に聞き惚れ、一同、こころ洗われる2時間を過ごした。
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ウォーミングアップのアイスブレークとして、「最近嬉しかったことはなんでしょう。1分間で…」の分かち合いをしたのだが、これも楽しかった。
酪農家のご主人の重信さんは数日前の午前3時頃の乳牛の安産についてお話下さった。酪農家にとっては、何が起こるか分からない牛の出産はかなりの緊張の場面だということを初めて知った。いのちに関わることで、これまで、悲喜こもごもの時が積み重ねられてきた様子だ。
特に、〇〇家は、考えに考え抜いて決められたことだと聞いているし、教会の文集でも公にしていることだが、来春には、跡継ぎが居られないことや健康上の不安もあって酪農を廃業されることになっている。
そのことを思うと、あと何回、牛たちのお産に立ち会うことになるのか、というようなことも含めて感慨深い、濃密な時間だったのだろう。
奥さまの芳子さんは、わたしの「最近嬉しかったこと・・・」への言葉として「夏、お客さまもいらしていろいろあったけれど、やっぱりきょうのこの時間です。38年前に嫁いできてから始まった家庭集会ですが、こんな嬉しい日は…」と声を詰まらせた。
そしてまた、家庭集会のおわりの祈りでも、何度も感謝の言葉を繰り返された。
わたしは、「最近、昔の友人たちとの交流があるのだが、そこで気付いたことがある。自分は牧師としてふさわしい人間だから牧師なのではなく、誰よりもみ言葉を、聖書を必要とする人間なんだとあらためて思う。だからこそ、神さまは聖書を一所懸命に読む仕事に就かせて下さった」と語った。
実際は一分に納まらない話になってしまったが。
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帰り道。
浜頓別の外れ・斜内の旧教頭住宅を借りておられる典子さんとそこに滞在中の麻依さんが、「先生から、松の実最中をいただいた御礼に、せめて、お茶の一杯でも」と声をかけて下さったので、一時間程、くつろいだ時間を過ごすことが出来た。
何か、とても真面目なことを、とても楽しくお話ししたと思うのだが、中身は忘れてしまった。
それにしても不思議な出会いを神さまは準備して下さったものだと思う。
典子さん。
滞在中の浜頓別の町でクリスチャンの方と一人も出会えなかったそうだ。
けれど、滞在中の住宅が、稚内教会のTさんがかつて暮らして居た住宅だったことをTさんから知らされたことは、神さまのお計らい以外には考えられないと、お話になっていた。
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最近、わたしは日々の暮らしの中で薄ボンヤリと思うことがある。あるいは予感していることとも言えるかも知れない。
それは、あわてないでじっくりと構えていると、何かが起こるということだ。
願っている以上のことが、思いも寄らない形で備えられている。
そんな日々が、少しずつ開け始めているのを感じる暮らしが嬉しい。
だから、たのしい。
教会の外でのことだが、お二人の方から、ほぼ似たような言葉を掛けられた。「先生、元気ですね」「森さん、3年前に初めて会ったときより、ふっくらして顔色が良いですね」と。
それも聞いておかしくなり妻にも報告した。
悩みもあるし、解決しないことを抱えているのは変わらないのだが。そんな空気があるのかしら。
日毎の何気ない日常こそが一番貴いということを心に刻みながら、今日も、明日も生きていきたいものだと思う。end