2014年8月4日(月)№152 『 伝えるということ ~「縦書きか横書きか」~ の先にあったもの 』

8月最初の日曜日 稚内は北極祭りというイベントがある。そのフィナーレが花火。今年は、花火のとり方が記されている本を確かめてから、三脚を抱えて港に出掛けて見た。
稚内の夏の終わりを告げる?花火。8月最初の日曜日、北極祭りという大掛かりなイベントがある。そのフィナーレが2500発の花火大会。今年は、花火の撮影の仕方が記されている雑誌を確かめてから、三脚を抱えて港に出掛けてきた。

きのうの礼拝。

 

説教の時に持参した原稿は、いつもと違う形のものが含まれていた。

 

簡単に言えば、縦書きのものと横書きのもの。

 

以前から、どちらが話しやすいのだろうと思うこともあり、きのうは、ある部分までの原稿は、縦書きにした。とは言え、それはワープロ変換されたもので、自分の手で書いた原稿ではない。

 

その他、自分がペンを持って、白紙の紙にあれやこれやと記した原稿もあったし、あることについてパソコンの聖書データを分析したものもあり、それは、横書きだった。

 

で、説教は何か変化があったのだろうか。

 

いやいや、そもそもなぜ、縦書きの原稿を交えたのか。

 

切っ掛けと言えば、一般には、縦書きの方が読みやすいと言われるから、ということになるだろうか。新聞、週刊誌ほか、速読が求められるのはほぼ縦書きになっている。

 

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ところがである。考えて見ると、日頃のわたしの説教、原稿を読むというか朗読することは、かなり少ない方なのだ。

 

聖書や他の書物からの引用を、大きめのポイントに拡大して印刷している場合もあるので、その時はもちろん朗読する。

 

しかし、肝心な部分。

 

つまり、説教の中でも解説ではなく、メッセージ性を含んでいる部分というのは、たいして原稿は見ていない。

 

そして原稿に記していても、その通りに語ること自体も少ない。聖霊が与えて下さったと確信することばを、予定外に、何のメモも無しに語ることが日常とも言える。

 

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となると、縦書き・横書きどちらで説教原稿を準備するのか、ということは、わたしにとっては、あんまり意味が無いことなのかしら。

 

読み上げて説明しなければならないもの。暗記する事はとても無理な引用などは、見やすさを考えて、それなりのものを準備をすれば良い、ということか。

 

その他はプロット(筋・構成)のようなメモでことたるのか。

 

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インターネットで、「縦書きと横書き」についての検索をかけて調べて見た。

 

目に留まったものに、ある民放の現役の幹部の方のエッセーがあった。元々はアナウンサーのようだ。

 

『空言舌語(くうげんぜつご)』というページの「高井一さん」である。東海放送編成局専門局長の肩書きがある。そして興味深い連載をかなりの本数、続けておられるようだ。

 

以下紹介するのは、第191号。

 

もっともそこで高井さんの論考は、アナウンサーとして正確に読んで伝える、ことを第一に考えてという制約はあるに違いないが。

 

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以下、『空言舌語(くうげんぜつご)』というページの「高井一さん」の引用。改行は読みやすさからわたしが適宜行ったもの。

 

 

ニュースはパソコン入力になった今も、独自にソフト開発した縦書き原稿です。ドラマ、バラエティ番組、情報番組の台本も縦書きが圧倒的多数です。

 

それには理由があります。

 

日本語の音声表現は「頭高尾低」といって、文頭から文末に向って自然と音程が下っていきます。タテ書きの原稿なら、文字を追うと眼と首は上から下へ動きますから、音程が下がっていくのと生理的に矛盾がありません。

 

これが横書きだと、眼も首も左から右への水平の動きになるためか、[高]→[低]への音程変化が難しくなってきます。

 

横書きだとベテランのアナウンサーでも「頭高尾低」の幅が狭くなり、表情のない読みになってしまいます。

 

それでも放送の現場では、横書き原稿が増えてきました。同僚アナウンサーのナレーションを聞くと、「これは横書きの原稿だ」と分かることがあります。高低の変化が乏しいからです。

 

それほど横書き文は「音」に出るものです。

 

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東海放送の高井局長さんの使われていた、「頭高尾低」ということばを初めて知ったので、「ググる」と、こんなことを記して居る方が居られた。

 

「伝え方」ボイストレーニング(株)トップオブボイスカンパニーの江頭さんという方のFacebookで見たもの。以下抜粋。

 

 

例えば、
「夕飯、何食べる??」
「ん??」
では、夕飯にありつけません。

 

「夕飯、何食べる??」
「中華!!」
これでも、具体的な行動にはなかなか結び付きません。

 

しかし、
「麻婆豆腐!!それもクックドゥ使わないバージョンの!!」
となると、どうですか??

 

とたんに、「具体的なアクション」として行動に結びつきます。
豆板醤、ネギ、木綿豆腐、ひき肉、味噌を準備して・・・みたいに。

そのため、いかに言葉にするか? それがめちゃめちゃ大切になってくる・・・

 

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縦書きか横書きか等と考えるよりも、もっともっと、《ことば》に仕え、語る者として立ち止まるべし。

 

思いがけず、そんなところに辿り着いてしまった。

 

景色が思い浮かべられるようなメッセージを、聴き手が身構えなくても良い、聴き取りやすいことばと声量で、美しく伝えられること。

 

そのような自覚的な訓練も必要だなと思う。

 

聴衆が聖書の舞台に身を置いているかのように、匂いを感じ、人々の眼差しを感じ、人が動き始め、なにがしかの色が浮かび上がるように物語ること。

 

礼拝が終わってからもっと聖書を紐解きたくなる説教。そんなことも目標にしつつ、じっくりと打ち込んで励みたい。

 

時々接することだが、素晴らしい内容であっても、聞き取れない、あるいは、聴き取りにくい話は本当に残念だな、と思うことが多いのも事実なのだ。

 

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半年ぶりくらいに、家の中で効率的に運動が出来るステップを再開した。

 

一月だったか、牧師館から教会に向かう坂道で思いっきりスッ転んで左膝を痛めてすっかりご無沙汰していたのだが、ようやく少しやる気が出てきた。

 

30分程の運動の時間、噺家さんの様々な落語をYouTubeで楽しみながらステップを踏んでいると、これまた、すごく教えられる。

 

彼らは語ること、即ち、噺のプロ。

 

その語り口は、反面教師も含めて、たいへん有り難い教材となることに気付いた。寄席ではそんなことを学べないが、YouTubeでは、余計な事も考える暇(いとま)がある。

 

しばらく、続けてみよう。end

 

 

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