Tさんに電話をした。
故郷の関西のイントネーションが抜けないTさん。とある、町にお住まいのご婦人
だ。
15分位の会話のさいごに「ほな、センセイも美樹さんも元気でね」「Tさんもね。Tさんは、もう歳だからね」。
そう言うと、「そうなんよ、せんせい。もうすぐわたし67歳よ」と言われた。
Tさんは、ご主人を天に送ってからもうそろそろ20年近くが経過しているはず。白髪が素敵なご婦人だ。
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詳細な経緯とか理由はお聴きしていないけれど、Tさんは所属する教会に通うことがどうしても出来なくなって、10年近く経っていると思う。
そんなTさんに、なぜか、わたしは半年に一度くらいのペースで電話をし、声を聞きたくなる。
お互いに、「生きとったぁ-!」と言うような言葉を漫才をしているかのようにやり取り出来るようになったのはいつ頃からだろう。
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前回の電話で、民生委員の仕事をしている、と話していたのが心に残っていたので、「どうなの?」と聴いてみた。
「赤ちゃんから老人までやからねぇ、色々あるんよ、先生」と言われる。
「そうよなぁ」とわたし。
「最近わたし、こういう(民生委員)仕事しとるとねぇ、礼拝でみ言葉を聴いて、神さまからの養いを受けないと、続けるのはたいへんって思うよ。そうせな、アカンと思う」とTさん。
熱心なクリスチャンであるだけに、所属している教会に通えない躓きは深刻だ。
だから、町の中で自由な立場で参加できる聖書の学びの場に顔を出したり、賛美の集いにも出掛ける等しているのだろう。でも、それでは決して満たされない思いがあることも十分に伝わって来る。
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話の脈絡は忘れてしまったけれど、何かの話の中で、ここ数年の内に、お母さまを天に送られ、その半年後に弟さんを送られたことを、Tさんはポツリと口にされた。
そしてこう続けた。
「わたし、居場所がないんよ、先生」
きっとお母さまがお元気な頃は、あれやこれやで、お母さんの所にしばしば顔を出すことが出来たのだろう。
居場所。
それは言葉を変えれば、心の置き場所なのだろう。
「なんかねぇ、部屋に一人でおったら、急に息苦しくなって、外にでて歩き出すことがあるんよ、先生」とTさんは続けられた。
「そうっかぁー」とわたし。
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Tさんはさらに「なんかねぇ、抱きしめてほしいと思うことがあるんよ」と口にされた。
「そうかぁ、Tさんを、オレが抱きしめるわけにいかんもんなぁ」と言うと、
「うぅーん、ん、いいんよ、わたしはそんなこと気にせんからねぇ」とTさんは続けた。
そうか、いつかギュッといくかな、と可笑しくなる。
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抱きしめられること。
そして、抱きしめること。
67歳のひとりのご婦人は、ごく自然にそのことが必要だ、と口にされた。
そう。
これって、どんなに歳を重ねても、人にとって必要なことなのだ。
ワールドカップの選手達だってゴールの歓喜の時に、そうしている。いや、悲しいときにもそうしている人々が映し出される。文脈は違うように見えても、本質においては同じなのではないか。
わたしに洗礼を授けて下さった牧師の奥さまは、神学生時代にわたしを見つけると、「もりくーーーん」と言って両手を差し出してくれた。hugの思いを、心を、伝えてくださっていたのだった。
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母が52歳で召されて行く直前、故郷大分のとある病院のひろーい個室での看病が続いていた。
わたしが23歳の時だから、もう30年が経った。
母の意識が混濁していたある日の朝、父も一緒に朝のひとときを過ごしていた。わたしは少し離れた場所にある簡易ベッドで仮眠をとっていた。
何かの拍子に母は恐怖を感じたのだろうか。母は父に向かって「“わこ”たすけて、“わこ”たすけて」と口にしながら両手を差し出した。
ぎこちないながらも、父は「ここにいるよ」と言いながら母を抱きしめた。数十秒の間、そんなことが続いた。
母も求めたのだ。
混乱と混濁の中、抱きしめられることを。
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わたしの母の名は「かずこ」と言う。
漢字で記すと「和子」。
父も亡くなり、今や誰にも聞くことは出来ないけど、若かった頃、父は母のことを「わこ」と呼ぶことがあったのかも知れない。
あるいは、母は自身のことを「わこ」と言ったのか。
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抱きしめてほしい。
Tさんは、わたしに言った。
それはわたしに向かって言ってはいるけれど、実のところ、“あのお方”に向かって言っているのだ。叫びでもあり、祈りでもある。
半年ぶりの電話。
たいせつなことを思い出させてくれたひとときだった。
抱きしめられること、抱きしめること。もっともっとたいせつにしなきゃいけない。照れくさくて、たとえhugが出来なくても、それに代わる何かをたいせつにしたいなと思う。
抱きしめられなくていい人、そんな人なんていない。end