日本で一番ちいさな大学の一つ、「稚内北星学園大学」のキリスト教概論の講義。
きのうは10回目だった。年度初めに講義概要=シラバスを提示しつつ進むのだが、毎回悩む。
イエスと出会った人たちの3回目は、ヨハネによる福音書4章に登場するサマリアの女を取り上げることにした。
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少し早めに教室に着いたので、諸々の段取りと共に、ヒムプレーヤを流し始める。
『讃美歌21』の404「あまつましみず」を掛けた。
どんな形であれ、講義が終わるまでに(サマリアの女の場面が歌詞の土台となっている)この賛美歌に触れたいなと思っていた。
結局この日は、最後の10分、学生さんたちが授業を振り返っての小プリントへの書き込みをしている時間に、わたしは歌い始めた。
そして、耳だけ貸してもらって歌詞を説明。
聖書の物語と賛美歌が結び付いているなんて、学生さん達は知らないわけで、「そういうものなのか」と思っていたのかも知れない。
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講義の最初。《アイスブレーク》をすることにした。昨日は24名が出席していたのでゆっくりは出来なかったけれど。
「最近、身近な所で起こった、うれしかったこと、良かったことを教えて下さい。20秒位かなぁ。はい、窓側の後ろの方からどうぞ・・・・」
4年生から1年生までが出席しているクラスなので、入学間もない1年生にとっては、特に知らない先輩が多い。いやいや、上級生だって後輩たちを知らないのだ。
互いが知り合えるようにと思い、「学年と名前を言ってから、お願いしまーす」と伝える。
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前回講義が終わったあと、「先生、今度、ソフトボールの時間来ますか?」「サッカーもありますよー」と声掛けしてくれた方が居て嬉しかったのだが、クラス全体の空気が、少しだけど、ほんわかと感じられるようになって来た。
「jeansを買いに行ったんですが、予算の半分で手に入れられて嬉しいです」
「母から、稚内に無いセブン・イレブンのスパゲッティがクール便で送られて来ました。ステーキも入っていて友人と一緒に・・・」
「ガラケイからスマホに変わったこと」
等々、気楽に語り、楽しく聞き合う。無口に見える学生さんも思いがけず雄弁だったりする。
わたしは『信徒の友 6月号』の「神に呼ばれて」を読んで下さった、かつてご一緒に教会生活を送って居た懐かしい方からの電話やらお便りが届いたことを知らせた。
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クラスの空気が和み、互いの心に橋が架かったころに板書した。
「渇き」
さらに言葉を添えて、「わたしは、○○○のことで渇いています」と書いた。
そして問う。
「《渇き》を他の言葉に置き換えると、どんなものが想像出来ますか」と。
この日は名簿にそって4年生から順番に答えてもらうことにした。
この作業。説教の黙想のような事に近いかも知れない。ただし、まだこの時には、ヨハネによる福音書4章のみ言葉自体は皆で読んでは居なかったけれど。
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「何かが足りない」
「張り、艶がない」
「空っぽ」
「孤独」
「むなしい」
という声が聞こえた。
このBlogを読んで居られる方はどうです?
「何に渇いていますか?」
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サマリアの女がどんな境遇に生きているのか。聖書本文を輪読しては立ち止まり、わたしが解説の言葉を添えていく。
「ふつう、井戸に水を汲みに来るのは朝とか夕だったのに、この女性はなぜ、正午頃、水を汲みに来たんだろう」と聞いてみた。
「朝、水を汲みに来て、こぼしてしまったんだと思います」とのもっともな答えもあった。
「5人の夫が居た、という記述の背後にあるこの人の人生のイメージは」と続けた。
「この人は夜のお仕事をしていて、朝遅くまで寝ていて、起きたのがこの時間・・・・」という声。
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ひととおりの意見を聞いた。
そして「僕はこう読みまーす」、と語り始めた。
「渇くことがない、その水をください」というサマリアの女が求めたものってなんだったのだろう、と想いながら。
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「『イエス・キリスト』の『イエス』は名前だったよね。その時代に、イエスは他にも居た。」
「じゃ、『キリスト』って何だったかなぁ。どういう意味だっただろう」とあらためて聞く。
直ぐに答えはなかった。遠慮している方も居ただろうが。
順繰りで、1年生の番だったので、いつも一番前に腰掛けているSさんに振ってみた。
「救世主、メシアですか」
「そう、救い主だよね。サマリアの女は救い主と出会おうとしていたんだ・・・・助けて欲しいって願っていたのがこの人だったんだと思うよ」とわたし。
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気がつくと時計の針は10時を過ぎていた。
10時20分迄の講義だが、最後の10分は、感想などを記してもらう時間。あと数分しかない。
おわりに、今のわたしの「渇き」について語ることにした。
「4月初めの最初の土曜日、地吹雪の翌日・・・・・・妻が転倒・骨折して・・・・悩んでます」と語った。
「もしも、森先生、こうしたら良いんじゃないですか」という事があったら「自分の渇き」「時代の渇き」への応答の他に書き込んで下さい、と伝えた。
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学生さんたちは、心を込めてこう記し応答してくれた。一部抜粋しよう。
○私の渇きとはやはり20歳になっても恋人ができないことです。恋愛をするということは自分の人生になくてはならないことだからです。
○わたしが思う渇きとは、充実の有無だと考える。・・・・・私の人生は刺激が無く、何となくもの足りない感じがするので、心が渇いているのではないか、と思う。先生は今の生活は充実していると思いますか?
○救って欲しい程の渇き、というものが思いつきませんでした。
○就活をどうにかしてほしいです。・・・私も足を骨折して手術しているので、奥さんの気持ちはよくわかります。必ず治るということを教えてあげて下さい。
○今、ワールドカップが開催されています。日本はコートジボワール戦に負けてしまいました。ネットなどの感想を見ると「○○選手辞めろ」などの心ない言葉が飛んでしまっています。自国の選手が負けても、一生懸命プレーした選手をリスペクトできない人を見ると、悲しい気持ちになってしまいました。
○《渇きがあるとしたら》今、授業が多く、課題もいっぱいこなさなきゃいけなくて、自分の時間が限られていること。悩んでいることがあっても、それを整理する時間がなくて落ちることがある。
○私は渇いていません。しかし、良き友、良き親、良き講師に恵まれながら、私は三食しっかり食べ、暖かい布団で眠れるにもかかわらず、怠惰で無気力です。これは渇きというよりも腐敗と思われます。私は腐っています。
○《自分にとっての渇き》自分の時間が少ない。むしろ無いに等しい。高校と違って趣味で話せる人がいない事。やりたい事は多いのに時間が無い。
《時代の渇き》未来への不安。就職氷河期や国の政治への不信感。
○おくさんの今の支えは森先生だけだと思うので、まずはどんな話でもうんうんと聞いてあげて下さい。長い戦いになると思いますが、がんばって下さい。
○自分の渇き 一人暮らしにはもう慣れたのですが、実家にいたときの騒がしさがないのが、自分の心を満たさない気がします。
○自分の渇きは、特に今は無いと思います。新しい事を始めましたし、充実しているからです。ですがこの充実に慣れてしまったら、「渇き」というのは表れるかもしれません。
○もし自分に渇きがあるとしたら、自分の感情を表現できないという渇きがあると思う。・・・・時代の渇きがあるとして私が考えたのは、人間関係の在り方があげられると思う。昔は人情溢れた人間同士のやり取りがあったと感じている。しかし今は、SNSの普及や色々な物の進化によって人間関係がぎすぎすしているように感じるので、そこが渇きであると考えた。
○自分の渇き 最近特に大きな問題があるわけではないけど、心が空っぽでお金や食事で満たせることはないと分かって居ても、お菓子を沢山買って食べちゃいますね。
○自分の渇き 自分がしたいことができない渇き。会いたい人に会えない渇き。
○「渇き」とは違うかも知れませんが、やりたい事が色々あるのに、時間が足りないと思う事があります。時間に追われているというか、必要な時に使えない事があります。
○感想 サマリアの女とイエスのように、偶然に、救い主と会うことができるとうれしいなと感じました。
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講義を終えたあとにも、大学の自販機のあるソファーに座って、プリントに書込まれた学生さんたちの思いをながめていたのだが、今、あらためて打ち込んでみて感謝だな、と思う。
わたしは今、水を飲んでいるわけでもないのに、なぜか、昨日よりも渇いていない自分を感じるのだから。
次週は、このBlogを切っ掛けに授業を始めようかな。end