『 信徒の友 』
日本キリスト教団出版局から発行されている「信仰生活を豊かにするキリスト教の月刊雑誌」として知られる。いのちのことば社の『百万人の福音』がライバルだろうか。
キリスト教界ではそれなりに知られる老舗雑誌かと思う。1964年4月の創刊だから、今年50年を祝っていたのも記憶にあたらしい。
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実は、先頃発売になったばかりの、2014年6月号の『信徒の友』に、依頼を受け、わたくし、微力ながら書かせて頂いた。
毎月、各地の牧師が交替で綴っている連載「神に呼ばれて」である。
いわゆる「献身」に係わることを、あれこれ思い起こしながら入稿した。
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わたしの両親がもしも健在だったら。
「おふくろ、送るから読んで」と、わたしも言うのかも知れない。せめてもの親孝行か。
おやじが元気だったら、車は運転できないので、原付バイクにまたがって、最寄りの本屋さんに走り、10冊くらい取り寄せてしまうのではと思う。
本当に。
顔写真入りだもの(笑)
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稚内教会の何かに載せているものであれば、このblogにさっそくアップロードし、皆さんにも読んでいただいても構わないのだろう。
だが、今回はそういうわけにはいかない。発売になったばかりの雑誌の記事をというのは、さすがにツツシマナケレバならないだろう。
編集部のIさんとのやり取りでも、
「1年後でも売られて居ますので、ぜひ、お買い求め頂けるように、森先生からもご協力をお願いします」
とのこと。
おっしゃることは、ごもっともです。
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というわけで、お手元にない方で読んでみたいなんて思って下さる方は、どうぞ、定価586円なりですが、これを機に一冊どうぞご購入下さいませ。
それがどうしても無理な方。
教会のお友だちか、牧師先生に頼むなりしてみてください。
それもムツカシイ方。blogのメール欄から、著者(アハハ、わたしです)にお声がけを。
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それはそうと、雑誌の投稿というもの。思った以上に大変なものと知った。
細かに聴きはしなかったけれど、編集部なり、あるいは、出版局内部で定められたかなり厳密なルールがあるのだ。
だから、自分が書いた通りの原稿がそのまんま掲載されているわけではない。敏腕編集者の手によって、さまざまなチェックが入る。
読みやすく、うつくしく、等々。
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こぼれ話、二つ。
「森先生、顔写真をお願いします」という依頼も受けた。一応、数ヶ月前迄の「神に呼ばれて」を確認。
そうか、男前のを探さねば、と思って探してみた。大きく写った顔写真というのは、意外と少ないもの。
それでも、パソコンに収まっている幾枚かの写真を、ま、これなら大丈夫だろうと考えて、エイッと添付して送信。
編集集のIさんも、これで大丈夫です、と一度は伝えて来てくれた。
ところがしばらくしてからこんな連絡が届いた。
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お世話になっております。今回、先生の写真を3点送っていただきましたが、どれも掲載するにはサイズが小さく、印刷すると粗く出てしまうので、他のものを送ってくださいと、デザイナーからリクエストがありました。
また、ピンもちょっと甘いので、もう少しクリアに写っているものをお願いできればと思います。
デジカメでお撮り直しいただけるようでしたら、バックは白など薄めの無地の背景で、自然光に近い蛍光灯の下で撮っていただくとよろしいかと思います。
週明けまでにお写真を2、3点お送りいただけますようお願いいたします。
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そうかぁ。雑誌って、デザイナーが入るのねぇ。
困ったわたしは、写真のお師匠さんに相談することにした。
稚内教会にお出でになって数ヶ月。求道者と言ってもよいと思うが、わたしも週報棚に名前を入れている、Sさんがお師匠さんだ。
そんなわけで、とある土曜日の午後、「学生時代の写真の先生から、人物を撮るならこのレンズで、と教えられていますから」と言いながら、バシバシ、カシャッ、カシャッ。あっという間に撮影をして下さった。
編集部からのオーダー通り、礼拝堂の白い壁をバックにして10数枚を撮影。さらには、どのような手を入れられたかは不明ながら、微修正というか色調なのか、Sさん、仕事をされたとのこと。
その中の何枚かをわたしなりに選んで編集部に送り、編集部側で決めて下さった写真が、この度の「神に呼ばれて」に添えられた顔写真だ。
Sさん、ありがとう。今後、力いっぱいおいしいコーヒー、挽き立てのをお入れしますよーっ(^^♪)
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もう一つのこぼれ話。それは、見出しと、リードの部分の話だ。
編集担当の方がわたしの原稿を読んで下さって、立派な大見出しをつけておられた原案が別にあった。そして、5行にわたる導入のリードもそこには添えられていた。
それは、なるほどなぁ、編集のIさん、そういう風に読まれたのかと感心すると同時に、とても心を込めて書いて下さっていることが伝わってくる素晴らしいものだった。
が、どうしても、著者にしか分からない思いというか、秘めた祈りとも言える部分というのだろうか。グイッと力を入れた部分が在ったため、編集の方と相談の上、わたしなりのものを逆提案させて頂いた。
有り難いことに、それを受け止めて下さって完成したのが今回の記事という具合だ。
それとて、サッサッと出来るものではなかった。編集作業とは、かくもあれこれ手を入れることが出てくるものなのか、と知らされた次第。
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一昨日の土曜日の夜。
母教会の(現在の)主任牧師に電話を入れた。わたしの献身時の主任牧師・鵜飼勇牧師は天に居られる。
カラーン、カラーン、カラーンと銀座の街に鳴り響く「銀座の鐘」の音。そして、教会の働きとして今も続いている、「福音会英語学校」のことも拙文には記してある。
だから、ひと言、感謝を伝えたかった。
「心配ごとで電話を入れたのではありません、いつもお支え頂き感謝です、実は・・・・」と報告。
「読ませて頂きます。(関係者は)喜ぶでしょう」の声が受話器越しに聞こえた。
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また、神学校時代の同級生からもメール。以下、抜粋転記。
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『信徒の友』拝見。机を並べていた頃、今のようには深く貴兄のことを知らなかったと思います。・・・・互いに抱えている苦悩も思いも違いながら、召命に対する向き合い方も違いながら、しかし20数年が経ちました。
・・・・『あの時の「召命」は現在を指し示す「照明」であったのですね。・・・・現在の北の辺境での伝道生活・・・・ただ御言葉に必死て仕えていれば、ある日、すべてが「照明」の中に置かれると思います。
・・・・。伝道者の生涯は冒険の生涯なのですね。この地上にある限り「神との冒険」を喜びつつ、楽しみつつ、歩んで行きたいと思います。・・・・良き省察を与えられたことに感謝・・・。
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1年と少し前、春季伝道実習に来てくれた、A神学生も、彼らしい、メールを送ってきてくれた。
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信徒の友6月号!読みましたあ!!
首のスカーフ、やはり日本の牧師の中で、いや世界中の牧師の中で森先生ほど似合う人はいないのではないかと思いました。
私としてはスカーフの森先生の姿を日本の教会の皆様に知っていただいたことが大満足です!
先生が・・・・出身だとか、・・・・にいたとか、初めて聞くことも載っており新鮮な驚きをもって読ませていただきました。
・・・こととかも書いてあり、・・・・な森先生らしい文章だなあと感じました。きっと・・・稚内教会の皆さんも本当に嬉しかったことだと思いますし、教会の喜びですね。
私も伝道実習の先生がこうやって皆さんに知ってもらえるのはとても嬉しかったです。説教原稿作られているときにすみません。
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神さま、ありがとうございます。
また、これから精進してまいります。end