ある日の説教を読み直した。
下の聖書とも関連する、マタイによる福音書18章21節~35節をもとに、『借金の帳消しできます』という題で語ったもの。
天にまします我らの父よ、御名が聖められますように。
御国が来ますように。
御旨が天にて成るのと同様に、地にてもなりますように。
来る日の我らのパンを今日も与え給え。
そして、我らの負い目を赦し給え。
我らもまた我らに負い目ある者を赦しましたから。
そして、我らを試みにあわせず、悪より救い出し給え。
新約聖書 マタイ福音書6章9節~13節
田川建三訳
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きっかけは、きのう=12月24日(火)、クリスマスイヴの午後1時過ぎ、電話の先からSさんにこう聞かれたからだ。
「先生、5,6分いいですか」と。
Sさんは「入門講座をやっていますが、来てみます?」の声に、二つ返事で「はい、お願いします」とお答えになった方。
同時にSさんは、ひとりご自分のお部屋で旧約の創世記より、少しずつ読み続けておられ、栞をはさんで、ここまで読みましたと見せてくれた方である。
ずばり「聖書の神はきびしいですね、義ですね」と言われた。
新約のイエス・キリストに辿り着くまで、このままでは時間が掛かり過ぎると思い、教会の書棚にあった、教会学校の新約の分冊をお貸しした。『口語訳』より読みやすいからこれを手元に、と『新共同訳』を。
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電話での「先生、5,6分いいですか」という言葉を聞いたわたし。あー何か相談かな、と思った。
が、直後に出てきたのは【ファリサイ派と律法学者とは?】について。
続いて、【ピラト】とはどういう人かを尋ねられた。
最後に、【聖書の中の「負債をゆるす」。先生、あれは単に、借金のことじゃないんでしょ・・・】というものだった。
以下、しばらく、説教より抜粋編集。
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総決算という言葉がある。夏の大バーゲンとか年度末の決算前の大売り出しなど。
実は、わたしたちの人生も神さまの前で決算をしなければならない日が来る。王が「家来」と決算するというのは、自分と神との関係の実情がただされることだ。
旧約から新約を貫くメッセージ。それは、わたしたちの人生の総決算が必ずおこなわれる日が来る。それが聖書の告げている真理だ。
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『新共同訳』では「決済」と訳されている。
【18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。18:24 決済し始めたところ、・・・・】
とある。
ほかに、『口語訳』と『田川建三先生訳』は「決算」と訳す。『塚本虎二先生訳』は「精算」と訳す。
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ところで、聖書には《負債》が《罪》を意味していることを教える、とてもよく知られていて、わたしたちにも、なじみ深い箇所がある。
それは、イエスが祈りについて教えられた「主の祈り」だ。『口語訳』には《負債》と出てくる。『新共同訳』では《負い目》。
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
(口語訳)
天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
わたしたちを誘惑に遭わせず
悪い者から救ってください。
(新共同訳)
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聖書の中の【ゆるし】と【負債】そして【負い目】。これはその人の生き方を大きく左右する程の重要な事柄だ。
負債 = 負い目 = 罪
そのように、言い切っていいだろう。【罪】の問題は生きている限り断ち切れない課題だ。
【罪】それがゆるされない人生はどうなるのだろうか。
マタイ福音書18章21節以下で、大きくクローズアップされた人物。
この人には 絶対に返済することができない借りがあった。そのことは明らか。金額の多さから言えば、この人の借金は決してゆるされるようなものではない。
つまりこれは、神がわれわれ(〈わたし〉も〈あなた〉も)の【罪】を見られたら、決してゆるすわけにはいかない。それ程の大きなものであることを意味している。
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ところがである。
神はそれが、返済済みだと宣言されていたのだ。金銭による精算がおこなわれたのではない。
ご自分のいのちを差し出す、血潮を流されるそのことによってだった。独り子が売られたことによって、我々の人生の罪、負債に対する借金請求は終了した。
「もう、精算は完了。済んでいる」と言われる。
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なぜ、そんなことが可能か。
ここには、十字架の秘儀。一人の方が現に売り払われた。このお方を通して精算が実行されることが前提で語られている。
ここに起こるゆるし。それはただ王の憐れみによるもの。負債の減免どころか、帳消し=棒引きである。
王(主人)が負債をまじめに取り立てる気持ちがないからではない。やかましく言うことがない人だから、というのでも、大目に見てもらったというのでもない。
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詩編103篇にこうある。
【103:8 主は憐れみ深く、恵みに富み/忍耐強く、慈しみは大きい。
永久に責めることはなく/とこしえに怒り続けられることはない。・・・
父がその子を憐れむように/主は主を畏れる人を憐れんでくださる。】
み子イエス・キリストは、義の神を超えて、慈しみと憐れみを十字架と復活の出来事を通して、わたしたちの救いの道を示してくださった。ただ感謝しかない。
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Sさん。
あなたが聖書をもって二度目に教会においでになった時に言われたように、旧約の神は、きびしい裁きをもって人に臨むお方。
ある人は、やはりあなたが言われたように、それを「義の神」と表現する。
しかし、神の独り子イエス・キリストを通して、神はその慈しみを徹底した形でお示しになったのです。
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わたし自身へのみ言葉。そして、ご一緒に読みたい、み言葉を記しておわります。いずれも使徒パウロのことば。
【 1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実でありそのまま受け入れるに値します。わたしはその罪人の中で最たる者です。】
テモテへの手紙 一 1章15節
【2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。】
テトスへの手紙2章11節
クリスマスおめでとう Sさん。そして、ありがとう。end