2013年12月23(月)№100 『 ひらがなの向こうにあるもの 』

 

作家で劇作家というのか、演出家でもあった井上ひさしさん。

 

彼のモットーにこういうことばがあるそうだ。

 

「 むつかしいことをやさしく、

やさしいことをふかく、

ふかいことをゆかいに、

ゆかいなことをまじめに 」

 

以前、切り抜いていたことばなのだが、どこかでいつの間にか紛失。

 

もともとの出どころはハッキリと知らない。再会したのは、阿刀田高さんの、とある本の中だった。

 

阿刀田さんいわく、ご自身をかえりみて「“むつかしいことをやさしく”は私もそこそこ実行している。・・・・しかし“やさしいことをふかく”は、とても井上さんには及ばない」と謙虚に記されている。

 

阿刀田さんのご本も、十分にやさしく、ふかいと思うのだが。

 

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「 むつかしいことをやさしく、

やさしいことをふかく、

ふかいことをゆかいに、

ゆかいなことをまじめに 」

 

ぜんぶひらがな。それなのに、読みにくさを感じない。これもすごいな、と思う。

 

わたし。漢字とひらがなの使い方は、けっこう気になるたちである。いつの頃からかと言えば、新潟県上越市の教会のHPに、「森牧師の部屋」をもっていた頃から特に気になり始めたのだった。

 

かつて定期購読していた『 ENGINE・エンジン 』(新潮社)という月刊誌がある。その雑誌で創刊時から編集長をされた鈴木正文という反骨の編集者も、ひらがなが多かった。かなり。

 

こんなところで平仮名か、と思う時にも使うのだった。骨太の編集者でライターがである。

 

今年の一月、函館でおこなわれた、北海教区の年頭修養会の講師としておいでになった、柏木哲夫先生が、どんな文脈だったかもはや忘れたが、「〈生命〉と〈命〉ずいぶん感じ方が違うでしょ」とお話になったと思う。

 

が、《いのち》はさらに受ける印象がことなる。

 

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わたしがかつて学んだ、牧師を養成する神学校のカリキュラム。

 

この何年間か、「神学基礎文章理論」という授業が行われるようになった。くわしいことは聴いていないけれど、現在の教授陣(わたしに近い世代が多くなった)が、これがどうしても必要、ということで設けたものなのだろうと思う。

 

面白そうだなと思うが、たいへんそうでもある。でも、これが必須なのかな?という感じもする。すこしお節介ではないかという気もするが、そこまで手を差し伸べなければならない、そういう過保護な時代なのか。

 

私的には【書くこと】は、わたしたち牧師にとっての【語ること】と、かなり密接に関連してくると思う。

 

漢字の多い説教(原稿)では、当然、《やさしく・ふかく・ゆかいに・まじめに》というのには近付けないような気がする。

 

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村上春樹さんは次のノーベル文学賞の最有力候補に挙げられるような方。

 

久しく彼の作品を読んでいないし、今、手元に置いて確認していないので、村上さんの、漢字とひらがなの使い方はわからない。

 

【Wikipedia・ウィキペディア】によれば、村上さんの小説は「敷居の低さ」と「心に訴えかける」ことを意識しているものらしい。確かにそんな記憶がある。

 

ただし、たとえ文字の形態としては読みやすい小説であっても、いつしかわからない世界に(まるで『ヨハネ福音書』のように)グルグルと引きずり込まれていくので、むつかしいな、と思うことが多かった。

 

興味深いのは、彼は翻訳家でもあるということだ。おそらく村上さんは、そこで文章を学び鍛練し続けているのだと思う。

 

牧師の仕事は、ある意味において、おわりのない翻訳作業を続けることにあるようにも感じるのだ。書くことにおいても、語ることにおいても、歌うこと、祈ることにおいても。

 

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札幌在住のN子さん。最近、わたしからの定期のお便りに応答され、メールを送ってくださった。

 

こう言ってはげましてくださったのは、素直にうれしかった。

 

【先生の『牧師室便り』、『こんぶ通信』は、楽しくそして心にジーンと残る文章です。先生は、教会の様子や先生の考え、世の中のことを温かい目で軽妙に綴っています。宗教って、難しいことばでちょっと固苦しいもので読むのは、たいへんと思っていましたが、森先生はキリスト教を親しみやすく表現され・・・】とあった。

 

井上ひさし、阿刀田高、村上春樹。そうした方々の文章を、わたし、研究したわけではない。そして、多分これからもそんな時間はなかなかもてないと思う。

 

でも、聖書のことばを礼拝説教の場で翻訳して、現代の物語として語り続けるということにおいて、プロフェッショナルでありたいと願う。

 

たいせつな先生のおひとりが、今、個人訳の聖書を発刊されているが、その先生のことばとの取り組みもまた、たいへん面白くあれこれ気になる。

 

『ヨハネ福音書』冒頭にある原典のギリシア語“ロゴス”を「ロゴス」のままにされたのは、少しばかりさみしかった。なぜって、わたしの《言一郎》の《言》の源だから。

 

けれども、「ロゴス」を他の言葉にできなかったという語学の達人とも言われるその先生のお仕事には、翻訳という仕事のむつかしさと限界があることを正直に認められている思いも十分に感じられるのだった。

 

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きのうのクリスマス礼拝。

 

こどもたちには、パペット=指人形のリスくんと共に語りかけた。

 

それもまた、わたしの翻訳の働き。

 

苦労よりも楽しい、という思いの方がおおきい。明日はイブ礼拝。こんなもん打っている場合ではないのに、キーボードを打つ罪深さ。

 

さて、ワープロソフトの《一太郎くん》。読みやすさの具合はいかが?

 

「2071文字、漢字25%、カタカナ5%」ですよと教えてくれた。

ということは、70%が平仮名かい。

 

これが平仮名使いの上限かな。

 

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『 森牧師の部屋 』

 

わっかないで書き始めて、めでたく100号をむかえました。長文型のブログとしては、よくがんばっているかな(笑)

 

今号、故郷おおいたの高校時代からの友人との思い出につながる『コーヒー雑感』の題で書くつもりだったのに・・・・、いつもこんな感じですわ。

 

これからも楽しくぽつります。continue.

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