『 人生53年目の大転換? 』
今年の7月17日の当ホームページのブログ №56に掲げていたタイトルだ。
52年と6ヶ月の付き合いだった「朝日新聞」を見限って?、「毎日新聞」を購読し始めたと記したのかな、と思って読み返してみたら、一ヶ月間は、両紙を併読してみようとしていたようだ。
パンパカパーン。その後、「毎日」だけを選んで様子をみていたのだけど、きのう結論を出せるなと思ったので少し、記してみます。
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私的には、というか森家的には「毎日」の圧倒的な勝利を宣言いたします(笑)
この半年間の「朝日新聞」の努力や変化があったとしたら、正直に言えば殆ど何もわからない。でも、「毎日」はかなりの点で「朝日」に勝っていると思う。
まず、あー、もうこれは「やっぱ、毎日ははすごいな」と思ったことが昨日、起こった。
しばらく前から事前に案内がどこかに載っていたのかわからないが、「朝日新聞」では有料のWeb版の新聞。
なんと「毎日新聞」、紙の新聞を購読している読者には追加料金なしでぜーんぶ読めますよというではないか。つまりタダで読めるということ。しかも、家族5台まで同時アクセス出来るという。
さっそく申し込んでみた。いいじゃないか「毎日」。「朝日」は確か500円だぞ。
しかも、北海道の稚内のような、“地方"では読みたくても読めない【夕刊】も、東京、大阪、西部、中部、北海道(札幌近郊限定?)のものまで読めると来た。感動!
さらに各都道府県の記事も無料。
太っ腹の「毎日」に対して、「朝日」はあまりにせこいのではないか。ガッツ石松さんをコマーシャルに引っ張ってきてWEB版を宣伝していた時期があるが(今もか?)、「毎日」は勝負に出たのか、とも感じる。
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おっと、大事なのは記事の内容ですな。ごめんなさい。以下、順不同でその理由を記しておきます。
〇「毎日」の記事
常に庶民を意識していると思う。朝日は難しいぞ。漢字の数も多いのではないか。妻は「アサヒは、プライドがたーかそぅで、スッカーン!」のだそうだ。その感覚は何となく今はわかる。
〇「朝日」の記事
時に論説主幹とか、主筆いうような方が出てきて第一面とか、三面で、かなり重い記事を記すことがあった。正直に言うと、ちゃんと理解したいな、と思って読みだしても、わたしには難しすぎて読み切ることが出来なかったことが複数回あった。新聞記事というより、論文か?と思うことが幾度もあったのだ。
〇特集の視点もいい
前述のことに繋がるが、つい最近「毎日」が始めた、月曜日の特集記事は「おんなのしんぶん」だ。一方の「朝日」が数年前かな始めたのは、「GLOBE」というものだった。「GLOBE」というのは、世界を相手にした、何のための特集号なのか不明な増刷版だった。これ、殆ど読む気持ちにならなかった。わたしの生活に、何も必要なかったのだ。不出来な週刊誌のように感じていた。
〇記者の署名は意味深い
「毎日」は記者の署名が原則。これ、素晴しいと思う。
〇道内の情報
「毎日」の道内関連の記事・情報は、「朝日」との比較だが、手厚いと思う。稚内に暮らしていても困ることはない。
〇これは偏見ですが 記事の背後にどうも感じてしまう
「朝日」の記者の方々、なんかどうしても、お給料がよさそうな空気が濃い。生活レベルが高いとは言いません。レベルの高さの基準はほかにたくさんあるので。でも、お金との結び付きって、庶民は敏感になるので臭うんだなぁ。「毎日」さんは、少し我らに近いかな。だって会社小さいし、潰れそうになってたもの、かつては。
*海運会社に就職した社会人になって間もない頃、皇居のお堀が見える会社に出入りしていた。確かそのオフィスが毎日新聞社のビルで、わるい感じは何も無く、むしろフツウの空気が流れていたことも、森的には好印象。30年近く前のことだが。
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7月の時点ではこんなことも記していた。
【「朝日」も「毎日」も似た者同士か・・・・半年位して、さて、どんな変化があるかしら。何かありましたらご報告いたします。】
万人のこころに届く説教というのも難しい。そんなもの存在しない、とまでは言えないだろうが、それに近いものあると思う。
万人に共感を得られる新聞もないのだろう。たぶん。
自分の考えと同じ事を言う人ばかりの記事は必要ないだろうし、違和感ばかりを感じる新聞もほんと、手にしたくないだろう。
おそらく、バランスがよいのが「毎日新聞」の方なのではないか。
九州でお世話になった親分とも言える大先輩の恩師である牧師は、何事につけ「“バランス"をようせないかんで」と口にしておられた。
例えば、教区内の重要な人事案件でも、神学校毎のバランスにも常に配慮されていたことを思い出す。
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10月下旬。
休暇で訪れた網走の知人宅の新聞も、実は、「毎日新聞」だった。2日間の滞在中、新聞絡みで、面白いことをお話しになっていた。
お世話になったOさんたち。
20年近く前、網走で暮らすようになるまでの何十年も朝日新聞の読者だったそうだ。そして、網走の、冬になると表通りから50㍍は入り込み、雪をかき分けないとお宅の玄関まで辿り着かない居を構えてからも最初は「朝日新聞」を読んでいたという。
ところが、ある日新聞屋さんから「雪の中の配達がたいへんで、申し訳ないのですが、配達、やめさせてください」という趣旨の挨拶があり、今日に至っているとのこと。そして、奥さまのEさんは、「子どもの頃から朝日だったけど、毎日、いいよ」と言われた。
ま、雪に関わることでは「毎日新聞」だって、どうにもならないときには、同じように言うこともあるかも知れない。
が、それでも、ちいさな所にチラチラと現れる何かっていうものが、実に重要なことを告げていることが多いもの、というのは本当だろう。
これ、わたしの教会での日々の働きの中でも同じだろうなぁ、とふと思う。注意が必要なり。
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今から半年後くらいには、新聞に関連して、何を思うだろうか。新聞なんてもう読まねぇ、と言い出すことは多分ないはず。
一年は続けないと、分からない事があるだろう。教会というところだって、せめて一年は来続けなければわからないよ、と新来会の方に伝えることがあるのだから、勝負ありと感じてはいるけれど、また更に半年、様子を見てみます。
特定秘密保護法案が国会、参院で審議されている最中だが、おかしな事にならないことを、強く願う。
この点については、「毎日新聞」さん。もっと強くうったえてもよいのでは、と思っとります。なぜって、あなたが元気だと、市井に暮らすおれらも勇気出てくる。ほんとです。end