利尻昆布バザーのことで相談した大阪の〈上ちゃん(牧師です)〉と久しぶりに電話で話ができた。
数年前、わたし自身の近況を語るうちに涙が止まらなくなるような話を聴いてもらった仲間。たいせつな存在だなと思う。
かといって、べたべたした付き合いは全くなし。
日曜の夜、夕食後に布団に入ってひと眠りしていたら、牧師館に電話が入ったらしい。その時は妻は、「上地先生、森の先輩かと思ってました!」と言うと、大笑いしながら、「僕が後輩です」と語ったそうだ。
ふーむ。妻は、あの涙の電話の一部始終を見ていたのかも知れないな。
****************
その上ちゃんと、月曜日にすこしゆっくり話ができた。近況を語りつつ、ふとそうだったんだなぁ、と気づかされたことがあった。
稚内での牧師としての働きで感謝していることの一つ。
それは、教会の規模が小さいがゆえに、出会う方たちとの「人生に関わること」がすこーしだけど、出来始めているかなということだと気づかされた。それが出来ない時期があったのも事実なのだ。
****************
とりわけ、「いのち」に関わることについて、共に悩み、祈り、あゆませて頂けることは、ある意味において掛け替えのないこと。
ある日、ある方とのお話の中で、「あそこで眠るのもいいなっと思って」という言葉を聴いた。
〈あそこ〉とは稚内の町、宗谷岬が見え、港も見える「稚内公園」だ。
そこには、稚内市の霊苑があり、教会墓地がある。
お墓の話を、寿司を摘みながら、時に大笑いしながら交わした。
帰り道、良い時間だったね、と妻に語った。
****************
大きな教会の講壇から説教をし牧会する。それもまた大切な働き。が、何百人単位の方たちとの関わりは、おのずと限られるのも事実だろう。
そういう先生方は、きっと今のわたしとは全く違う種類の悩みがあると思う。
雪が降り始めた。去年とはまた違う心構えができることも嬉しい。
クリスマスを超えて、ひかり射す、春に向かって歩み出したい。end