※稚内教会が6月に発行した、年に一度の文集『あしあと』より、わたしが投稿したものをブログに掲載します。時期のズレは、そういう事情であります。
稚内教会の牧師として働き始めて一年とすこしが経過した。いろいろと変化があるのだけれど、ひとつ、新たに始めたことを記してみたいと思う。
一眼レフのカメラが我が家にはある。福岡で暮らしていた時分に、カメラ屋さんに出掛け、店員さんの言葉を聴いて、なるほどねぇと思ったことがあった。
「コンパクトカメラでどんなに腕をあげても、一眼レフカメラにはぜったいにかないません。一眼レフカメラならば、誰が撮ってもきれいに撮れます。構図を考えなければ・・・」
この言葉にはマイッタ。というか、納得するしかない言葉だった。
まっ、もしかするとセールストークなのかも知れないのだが、その言葉を妻とわたしは素直に信じたのだった。以来、ニコン製の、まぁ、一眼レフカメラの中では入門機のような一台を手にするようになった。
とは言え、コンパクトデジカメに比べれば明らかに重いし、さして撮影の機会があるわけでもなかったので、半ばお蔵入り状態になってしまっていた。
ところが、人生何が起こるか分からないものである。今のわたし。どこかに出掛けるとなれば、必ずカメラを持参。いやそれどころか、毎週日曜日になると、いそいそと、礼拝堂の二階にカメラを持って上がっていくのだった。
何をするのか。
週替わりで献げられていく講壇のお花を、せっせと撮影し続けているのである。いえいえそれだけではない。何か新しいお昼ご飯のメニューが作られるといえば、それーっと撮影である。
最近は、「森センセー、これ撮った方がいいんじゃないですか」というような声も自然に聞こえるようになっている。
撮影したものはというと、教会のホームページとわたし個人のホームページに、それぞれ、「写真館」と「気ままフォト」なる写真掲載のページを作っていて、せっせとアップしているのだ。これがわたしの気分転換の時間というわけだ。
「うまいっしょ」なんていう気持ちはこれっぽっちもない。
でも、腕は無くても、一眼レフカメラというのは、人間の見ている以上に美しいものをしっかりと記録してくれる。それには本当に驚かされる。お花ってこんなにきれいだったの、とか、利尻富士自慢をしたくなることもしばしばである。
さらに、デジタルだから、いくら失敗をしてもフィルムが無駄になるなんてことは決して無い。シマッタ・大失敗ということが少ないわけで、お金が無駄にならないことも大いに助かっている。これが一昔前のフィルムカメラだったら、とうの昔に妻から大目玉をくらっていることだろう。
ひかり幼稚園で園児たちの姿を記録しておられるプロカメラマンの大橋さんと、カメラ入門者として、時々だが立ち話をするようになった。ある時、大橋さんが持っておられるカメラも、ニコンのものということで、ご自身のレンズを外して、「これで撮影してみて」と我が家のカメラにすこしばかり高級そうに見えたレンズをつけてくださった。
早速試しに撮影。「うーん、いいじゃないかぁ」。素人にも使い易さがすぐに分かった。
いま、牧師館のわたしの小さな机の片隅に、『ニッコールレンズ 総合カタログ』が置かれている。憧れの大橋さんが使っていたのと同じレンズさえあれば、もしかするとわたし程度の腕でも、もっと美しい写真が撮れるのではないか。そのような妄想を抱きつつ、わたしは貯金を始めることにしたのだ。
希望小売価格はレンズのみで99,750円とチト高価だ。しかしインターネットの通販では4割引程度での購入が可能な模様。
久しぶりに欲しいもののために貯金を開始した。今年53歳のおやじは、すこしだけ子ども心を取り戻した、というわけである。end