水曜日の朝、稚内北星学園大学のキリスト教概論の授業に出掛ける。
9回目にして、ようやく“イエスの生涯”について学び始めた。
きょうは【人はパンだけで生きるものではない】(マタイによる福音書 4章4節)という聖句との関連で(わたしの中では結び付いているつもり・・・)、受講されている方たちにひとつの質問を。
「目に見えないものって何だろう」と。
いつもなら、授業の最後に小さなプリントを配布。感想や質問、気付きを記してもらうのだが、この日は、早々にこれを配り、5分ほどの時間を差し上げて、この問いについて書き込んでもらった。
講義の中では、いちいち言葉にしてもらうことはしなかったが、受講生の方たち、誠実に思い巡らし下さった。こんなことを記して居られた。
【目に見えないもの】
○人の気持ち、相手の心
○心、未来
○信頼や絆、感謝の気持ち
○愛(愛情)、好意、運、人の心
○おばけ、人の心、頭の中、未来、絆
○他人の考え、未来の出来事、霊的なもの、命、魂
○思い、考え、未来、実体のないもの、音
○空気、感情、考え
○おばけ、人の考えていること、相手の本音、人の心
○空気、音
20歳前後の若人と一緒に過ごせる時間、ありがたいことだなぁと思う。
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余談ながら、作家の高橋源一郎氏がNHKラジオ(すっぴん!・金曜日 朝 担当)で口にされていたことだが、高橋さんが(キリスト教主義の大学である)明治学院大学の教授として授業を担当してきた経験値から言える、丁度良いクラスの人数は12人とのこと。
Oh、わたしはラッキーなことに、本当に対話しやすいクラスで講義を持たせて頂いていることになる。重ね重ね有り難いことだ。本当の所、もしも大教室を委せられてしまったら、わたしはすぐにマイッテしまうのではと思うし、少しも楽しくないような気がする。
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サン・テグジュベリの代表作『星の王子さま』の中の名言に、【心で見なくっちゃ、物事は良く見えないって事さ、肝心なことは目にはみえないんだよ】があることを紹介しそびれた。
いつもながらのシマッタである(∋_∈)
そしてまた、第2コリント書4章18節のパウロの言葉、【わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです】も伝え忘れてしまった。
やれやれ。来週、振り返りの時に、補わなきゃいけないなぁ。
授業を終えて、いつものようにホールでぼーっとしながら“ポカリスエット・ライト"で水分補給をしながら休憩していると、通りがかりの青年が通りがかった。
青年は「あっ、森先生!ご無沙汰しています。○○です。」と急ブレーキを掛け、くるっと振り向いて深々と頭を下げ、元気に挨拶してくれたのだった。彼は2012年度(去年の秋からこの2月迄)にわたしの受業を選択してくれていた青年だ。
彼は毎回、『マンガ聖書入門』で身につけていたという聖書やキリスト教の知識と比較しながら、「いよいよ、来週が楽しみになってきました」等と、先にご紹介したペーパーに書込んでくれて、こちらの気持ちを上向きにしてくれた。
「森センセイ、教会の方にも、おじゃましたいと思ってます」等と結構真顔で言うではないか。ほんまかいなぁ。
あんまり喜ばせるなよ。教会においでなんて、授業で言ったことなんてなかったのになぁ(*^。^*)
よっし、来週、また頑張ろうかな、と思えた瞬間でありました! end