今号は、聖書が出てきたりして、珍しく?説教調。体力のない方は今号はどうぞ読み飛ばしてください。しかも長文。あしからず・・・・。
いつのことだっただろうか。ある会合の席でお話を聞いていて、わたしは涙がこぼれそうになったことがある。他の方たちは冷静でいたが、わたしにとっては、揺さぶられる出来事だったのだろう。何かを語ろうとするのだが、言葉に詰まってしまった。
そのお話とは、少しだけむつかしい言い方をするならば、お話をされたきょうだいの“実存”のかかっている内容であり、言葉だった。
幾つかの重要な課題をよく準備して冷静に提起してくださったのだが、話の流れの中で「洗礼名=Christian name」についてもお話をされた。そのきょうだいは、「自分はその名前を大事に心に抱きながら、クリスチャンとして歩んで来た」という事も含めてお話しされたのだった。
その方のChristian nameは「コルネリオ」(コルネリウス)という。
自衛官として40年近く勤めあげられて無事に定年を迎え、次の新しい人生のステージを既に踏み出されている方だ。自衛官のキャリアの最後には、部下300名の指揮官としてお働きになっていたと聴いた。
近い所では、東日本大震災の被災地支援に部下と共に2ヶ月間お出かけになったそうだし、イラクがらみの海外の危険な任務に部下を送り出す立場にもあったとのこと。その他、雲仙岳噴火、阪神大震災、中越地震などなど。
部下の命、そしてそのご家族に関わる重要な命令を、(上からの指示があるとしても)自分が直接伝えるというのは、誠実な方であればあるほど、祈り抜きではなせない事だろう。
わたしたち、洗礼名はカトリックや聖公会では馴染み深いものだと知っていたが、10年近く前に洗礼を受けたとお聞きしたきょうだいは、プロテスタントの方だ。
コルネリオは、『使徒言行録(使徒行伝・使徒の働き)』の10章に登場する〈兵士〉だ。しかし、自衛官である自分がクリスチャンであることが、もしかすると自分の所属する教団や地域の仲間たちの間では、受け入れられていないのではないか、という思いをある時からいだき始め、ずーっと祈り続けてこられた様子だった。
その時の会合の中で話を聴いていた者の多くは、そのきょうだいの思いを、これまでの交わりの中で十分におもんぱかることが出来ていなかったことを自覚させられる機会となった。
実際、しばらくの沈黙があり、さらに、受け止めようとするためのぎこちないやり取りと言葉、そして時を重ねながらその会合は進んでいった。
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コルネリオが登場する『使徒言行録』にはこう記されている。
10章1節以下。
【10:1 さて、カイサリアにコルネリオ(ウス)という人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、10:2 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。】
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ある「聖書辞典」とわたしの思いと言葉をすこし補って説明すると、コルネリオとはこういう人物である。
◎コルネリオ(コルネリウス)
カイサリアに住むローマの部隊の百人隊長。所属する「イタリア隊」は、ローマ市民から成る補助部隊で、紀元1世紀にシリアに駐留していたことが碑文から確かめられている。使徒言行録10章によれば、彼は敬虔で、全家族と共に神を恐れかしこむ者である。
コルネリオは割礼を受けて律法の規定を守るいわゆる改宗者ではなかった。しかし、ユダヤ人に好意を寄せ彼らの神を礼拝する異邦人の一人であったと思われる。
コルネリオは、幻で神の御告げを受け、ヤッファに滞在していたペトロを招く、そしてペトロはコルネリオらに洗礼を授ける。この出来事は原始教会が異邦人伝道に踏み切るように励ます画期的事件だった。
原始キリスト教会の異邦人伝道は使徒パウロを中心にして強力に推進されることになるが、実にその端緒は、ペトロに導かれたコルネリオの回心にある。
(『新聖書辞典』参照)
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コルネリオについて改めて思い起こし、また、辞典で確認してみたわけだが、この人の存在の貴さを教えられる。
兵士たちの指揮官だったコルネリオ。彼が導かれて洗礼を受けなければ、初期キリスト教の伝道の展開はまったくことなるものになった可能性すらあったことがわかる。
上の辞典の末尾に、【原始教会の異邦人伝道・・・その端緒はペトロに導かれたコルネリオの回心にある】通りなのだ。
実に、百人隊長のコルネリオ抜きで、異邦人(ここでは、今で言うところのヨーロッパ社会とも言える)伝道は考えられなかったことになる。
自衛官であったその方にとって、コルネリオほど相応しい名前はない。
聖書の時代のローマ皇帝の支配下にある兵士が、その強大な権力の元で生きていこうとするときに、世の力と神の支配に、どこかで折り合いをつけながら歩んで行かなければならないジレンマがあったことは容易に想像できる。
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わたしは10代の頃に、自衛官の五訓というのをある場所で知ることがあった。
一 使命の自覚
二 個人の充実
三 責任の遂行
四 規律の厳守
五 団結の強化
おそらく、コルネリオというChristian nameを持つきょうだいは、上の五訓を土台としながらも、さらにまた、主イエス・キリストからのみ言葉を、神からの命令の言葉としてキリスト者として誠実に生きてこられのだろう。そして、退職をされた今も変わらず、そのアイデンティティーをしっかりと抱きながら歩んでおられる。
その名は「コルネリオ」。名はその人を表すもの。それだけで証となる。
ちなみに、お連れ合いは「デボラ」というお名前をもっているとのこと。お子さんには、「おかあさーん、おかあさんの Christian name、ゴジラやモスラに近い感じがするのは、おかあさんらしいねぇ!」と言われたそうだ。はて、その意味はいかに。end