稚内から車で130㎞の所にある、北の枝幸町・歌登のHさんご夫妻のお宅で、稚内教会は何十年来、定期的に家庭集会を行っている。
というのも、酪農家のHさんにとって、日曜日は教会へというのは、相当にたいへんなことだ。
何しろ、搾乳の仕事は待った無しであるから、早朝そして夕方に毎日それが続く。もしもそれで礼拝となると、お仕事の合間に、どんなに飛ばしても片道2時間半、あるいは3時間はかかる稚内教会への道を猛進することになる。
さらに、礼拝が終わってからすぐに家路に着いたとしても、そのあとすぐに搾乳ということを考えると、「クリスチャンなのだから 毎週日曜日は、どうぞ礼拝に」とは簡単には言えない。
まして冬場のオホーツク海沿いの地吹雪や雪路を考えると、危険極まりない。だからして、家庭集会はとても大切な時間になる。あるいは礼拝の代わりの時間でもあるので、さいごはいつも、祝祷して終わっている。
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余談ながら、歌登に向かう時は、かならず“枝幸”の町の中を通る。そこで今日は、カニの漁獲量ではたぶん日本一の“枝幸漁港”に立ち寄って写真を撮ったりして少しだ遊んだ。「気ままフォト」にアップしたので、よろしければどうぞお立ち寄りくださいませ。おっと、さらに家庭集会の写真も撮って、その写真は、教会ホームページの「写真館」にてご覧頂けます。
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さて、創世記の1章から聖書のメッセージを話すことにした。最近、教会の礼拝で創世記を扱い始めて居るので、歌登でもぜひと思ったのだった。
1章の終わりで、神が天地創造の6日目に人をつくられ、そして【見よ、それは極めて良かった】=【it was very good.】と言われたことを伝えた。
礼拝説教では触れなかったことを付け加えて、わたしは関連してこう語ったのだった。
「わたしたちは、自分自身にだけこの言葉が語られていると考えるのではなく、家族に対してもそれが語られているということ、あなたはとっても素晴らしいんだよ、その思いをしっかりと抱きつつ歩みたいですねぇ」と。
すると、H姉がほろりと涙を落とされた。
それに気付いたわたしも涙がこぼれそうになった。わたしはこれでメッセージはお終いにしようと決めて簡潔に祈った。
では、賛美歌を歌い・・・と口にしたときだった。
わたしは少し耳が遠いところがあるので、すぐに聞き取れなかったのだが、「せんせい、わたしも祈ります」とH姉が言われたのだった。
それだけでなく、「美しい大地は(賛美歌21-424)を歌いましょう先生」と言ってくださったのだった。
この賛美歌、確かに創世記1章にはぴったりの、新しい時代の曲なのだ。まだ、稚内教会に赴任してから取り上げて居なかったのだが、パソコンをまだ十分に使いこなしていないというH姉なのに「“You Tube" で見つけて練習したんです」と教えてくださったのだった。
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1954年版の賛美歌には入っていない、新しい感じの賛美歌はあまり好まれないのでは、と勝手に決め込んでいたわたしは自分を恥じた。
申し訳ないことである。
賛美歌というのは、歌ったことのない時は、誰にとっても全てが新曲なのだ。だとすると、あまりおそれないで、わたしたち、さまざまな賛美歌にチャレンジするべきなのだろう。
さらにさらに、祈りも、イエスさまが二人または三人が・・・と語られたことをもっともっと大切にしたいものだと、これも考えさせられる時となった。
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体重700キロ前後の牛たちとの向き合い。それはとても過酷な面があることをご夫婦でお話くださった。体力と気力を振り絞っての日々であることが、この一年でだいぶ分かってきた。
「いつも息を抜けない。常に何かが起こるかもと思うと、安まらない」
「牛に足を踏まれるんだよ。牛は決して人の足を踏まないようにと除けないからねぇ」
「牛は人を見るんだ」「わたしは舐められてるんです」
「やっぱり畜生だからね、危険だよ」
「夫婦二人でなければ、就農の許可は下りないのがこの仕事」
「もう、体力的に限界だね」
「朝晩、あっちもこっちも痛いって言ってる」
等など。
他にも幾つものことを語られた。それは別に、愚知を言われるのではない。すべてを受け入れつつ、ある意味、たんたんとお話されたのだった。
去年のクリスマス前に、同じ歌登の酪農家のたいせつなお友だちのご主人が、800キロ程ある牧草ロールの下敷きになり、倒れているのを奥さまが発見。ご主人は事故死された。なかなか仕事から戻ってこないので、携帯電話を鳴らしてみたらロールの下から呼び出し音が聞こえたというのだった。本当に言葉がなかった。
その後、ひとり遺された奥さまは離農することに・・・、と3月末にうかがったが、本当に厳しい仕事なのだと思う。
Hさんご夫妻「どんな仕事でも、みなさんそれぞれに大変なのさぁ」と言われていたが、夫婦がone setで、はじめて何とか仕事が出来る状態であって、それが崩れると直ちに離農とは。苛酷だ。
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「せんせい、わたしも祈ります」
そのようにH姉が言われたのは、祈らなければ生きて行けないという、ごくごく自然な思いからだったのだろう。
搾りたての牛乳を3リットル分くらいある大瓶に頂いて、残雪がまだ残る歌登から家路に着いた。H姉の涙、祈り、そして「美しい大地は」の賛美。どれも心に深く残る、春の日の午後となった。end