月曜日の早朝。少し天気がよくなりそうな気配もあったので、最近の私にしては、ちょっと遠目の散歩にひとり出掛けてみることにした。
何を隠そう、運動不足がたたって大幅体重増となり、慌てているのである。教区総会で久しぶりに顔を合わせた神学校の同級生のAさんは、「オレ、毎朝10㎞走ってるんだぁ。冬の間は自転車こいでな。息子も陸上部だし・・・今朝も走ったぜ」とさり気なく言う。
個人的なブログながら、親しい方の幾人かが見るであろうこのブログ。正直に実状を記し、気を弛めることなく「ダイエット はじめます宣言」を公にして自分を追い込むことにする。
わたくし、過去5年くらいは誓ってそうだったのですが、当分の間、間食は断ちます。お菓子を食べない、と言うのではありません。10時とか、15時とか、16時とか、17時も。どんな美味しいものを見せられても「no, thank you」といたします。食事の流れの中で、デザートとしてならば多少は喜んで頂くかも知れない。が、その量も減らそう。
これがまず減量の第一歩。もちろん運動も心掛けなければならないが、率直に言って、動かないのに、一日のカロリー摂取が多すぎたのが本当のところだろう。
冬の間はやはり散歩しにくかったという一応の言い訳はある。しかし、さすがにまずいな、と思ったのである。
稚内に赴任した一年前頃は、確か体重は72㎏~73㎏の間くらいだったはずである。ところがこの数ヶ月でみるみる成長し(縣神学生来稚の頃に油断したか?)、5㎏程の増えてしまっていることに気付いた。またもや(∋_∈)シマッタである。
このままだと確実に実害が出てくる。ズボンはウエスト出しがきかない類いのものは、すべて、新しいのを買わなければいけないことになる。補正ができるものでも、もう無理というのも幾つもあるはず。
もちろんそうしたことだけでなく、血液検査などすれば、微妙に数値が上がっているのではと思う。
もう少し本音を言うならば、体重は別に80㎏くらいあっても構わないかも知れない。ギュッとしまっていればですね。でも、本当に皮下脂肪というのは、局所的につく。これは本当に困る。
思えば、体重変動の大きいこの数年だ。もっとも軽くなったのは3年前くらいだろうか。62,3㎏だったと思う。当時はっきり覚えているのは、デスクに座っていてお尻の骨が尖っていて痛いのである。ストレス過多でかなり傷んでいた頃だ。あれには(*_*) マイッタ。
はたまた、10年くらい前は80㎏越えの頃もあったと思う。その頃、ぎっくり腰になってしまい整骨院を訪ねたときに、「この辺り肉付きがいいですねぇ」みたいなことを言われて、ショックを受けたというか、目が覚めはずなのにである。
目方が増えるといつも思うことがある。
たとえば、5㎏の体重増。北海道が日本全国に胸を張って自慢できる、かの、“ゆめぴりか"=お米5㎏をスーパーで購入するとしよう。妻に、あなたが持ってと預けられて、ダラダラと歩き続けることが出来るか、と言えば自分には無理である。
子どもだって5㎏のわが子を、何とも思わないで、抱えたり、負ぶったりというのは、やっぱり大変ではないか。
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今朝は大黒方面にくだり、海沿いを歩いて、JRの最北端の駅が入るキタカラを一応の目標地点とした。4キロ位だろうか。そんなルートを歩いたことはこれまで一度もなかったので新鮮だった。
歩いていると、地元の新聞やラジオで見聞きしたことのある会社の所在地がわかったりする。やはり、車で通り過ぎてはしまうと見逃してしまうあれこれが多いなと思った。稚内港の漁船を見るのもたのしい。
目標地点としたJR稚内駅が入る“キタカラ"にたどり着く頃、そこから再び帰り道を歩く元気はなし。
Taxiはちょっとと思い、稚内に来て初めて路線バスに乗ることにした。駅ビルの中の宗谷バスのお姉さんに「緑4丁目に行くには・・・?」と尋ねると、「今度は8時29分、31番路線。坂の下行きです。3番でお待ち下さい」と教えてくれた。運賃は210円なり。
「バスに乗り込んでから10分もしないうちに、次は、緑4丁目、ひかり幼稚園前です」と案内があった。「稚内教会前です」と言ってもらうようにするのはお幾らなのだろう。そんなことを思いながらバスを降りた。
帰り道も歩ける位の体力が復活するのは夏が終わる頃だろうか。するってぇと、また、雪の季節なんだなぁ。いやはや、悩ましい生活が続くのである。end