3月迄でいわゆる“2012年度"が終了した。教会の方たちと相談して、年に一度の「文集」をつくってみよう、ということで、原稿集めをしている最中だ。
もしも、投稿する方が少なくても、それはそれでいいじゃないですか、という気持ちで始まったものである。
しかし、4月末の原稿締切を前にして、動きが少なかったので、少しあせりを覚えていた。
そこで、もしやこの方は何かを書いて下さるかも知れないなぁということを感じる、普段お目に掛かることが出来にくい方にも、「これこれ、こういう趣旨で文集を発行したいと思ってるんです。よろしかったら、○○さんも、何か書いて見ませんか」と駄目元と少しばかりの勇気を振り絞って、お尋ねしてみることにした。
得手不得手が人にはあるものなので、「昔、大恥かいたから、先生、わたしはもう・・・パスします」という方も居られた。そのような方には決して無理は言えないし、やがていつか記して下さる日がくれば、それはそれで嬉しい。
一方、ひとしきりわたしからのお願いの電話の言葉を聞いて下さったあと、「教会員じゃないから遠慮していたんですけど、週報を見て、わたしも何か書きたいなぁって思ってたんです。ありがとうございます。いつまでですか?」という方も居られるではないか。
あるいはこう言われた方もいらした。「わたしは、学校で教えていたとき、学級文集とかお便りをいつも書いていたから、そういうの気にならないんです。いいですよ」と。
なるほどなぁ。
かつて仕えていた教会のご婦人が、新聞やラジオに投稿するのを楽しみにしていることが、ふとしたことからわかったことがある。今でも、その方のお名前をNHKのラジオで聞くことがある。
新聞社の場合、採用のご褒美に図書券という場合があるようで、それを大切にとっておられて、何かの時に「これ、お使いください」と言って差し出されて、本当に目立たない形で牧師をお支え下さった。
自分の気持ちをまとめてみるという作業。
人が心の中で、何となくしていることではあるけれど、そういう場や時間が、とっても大事なものなのだろうなと改めて思う。それが人目に触れない場合でも、書き出すこと自体に、深い意味があるのだろう。
まだ、文集のタイトルすら未定なれど、少しほっとしている。投稿はして居られない方も含めて、手にして目にするみんなのこころが、少しでもなごみ、“ラポール"が生まれるとうれしい。end
※追伸
“ラポール"とは国語辞典によれば、「親和関係。互いに親しい感情が通い合う状態。打ちとけて話ができる関係」というような意味合いの言葉です。(広辞苑、大辞林参照)