きょうは3.11の朝だ。NHKのラジオ第一放送を聞いていて、こんなわたしでも、あれこれ思うこともあるのだが、とてもではないが、ここに記せるようなものを、まとめられない、というのが正直なところである。そして、一歩踏み出すためには、自ら何かをしっかりと引き受けたり、傷ついて行く覚悟が要ることは自覚している。
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ところで、わたしと妻が、最北の町・稚内に九州・福岡から引っ越して来て、間もなく一年になろうとしている。「寒いでしょ」と聞かれれば確かに寒い。「稚内は風が強いでしょ」と声を掛けられれば、「強いですね」と答えるだろう。
昨晩のことだ。日曜夜のくつろぎの時間に、戴き物のハワイのKonaコーヒーを煎れて、それと一緒に気の利いた“sweets”がひとくち欲しい!と思った。ところが、わが家の、押し入れ、兼、食料庫にはそれが見当たらない(シクシク)。
受難節の真っ只中、サタンの誘惑に負けてしまったわたしは、妻からの「ここに700円あるけんね。なんかこうてきてぇ」との明るい声に送りだされて、20時過ぎに、われら北海道民の強い味方である“セイコーマートさん”まで、ゴミ出しついでとは言え、トボトボと歩いて買い物に行ってきてしまった。シマッタ(∋_∈)。
そのときにあらためて感じたのは、子どもの頃からこの年まで抱いてきた、いわゆる「雪国」というよりも、どちらかと言えば、北九州出身の井上陽水の歌ではないが「氷の世界」という感じだった。新潟の豪雪地帯に居たときの方が、どちらかと言えば、雪国という感じがあったような気もする。
きのうは、吹雪きそうで吹雪かないで終わろうとしていた一日で、夜のお買い物のその時分には、何かうっすらと晴れ間が見えていたような気もする。が、気温は零下7度位だったのだろう。
では、家の中はどうかと言えば、わが家で言えば、10-14度位に設定した大型の石油ストーブをリビングでつけ、あとは、膝掛けを置いていれば、そんなに我慢することもなく耐えられる。
うちの場合、室温は18~19度が適温。それ以上だと、妻かわたしか、どちらからともなく「なんか、暑いねぇ。切る?」という言葉が出て来る。そして、30分程ストーブを切ることも珍しくない。道産子からすると考えられないのでは、と想像するが・・・。
つい最近も、九州のこころ優しい、わたしの母くらいの年齢のご婦人から、「北海道の吹雪のニュースを見ておりましたら、お二人のことばかり考えておりました。神さまの御計らいとは言え、九州育ちのお二人にとっては・・・・。
・・・わたくしの娘も、秋田に7年暮らしておりましたが、娘が申しますには、家の中は暖かくても、除雪が・・・・」というようなお便りが届いた。ご心配はごもっともです。
わたしはここ10年、いや20年か。年に一度は、もうれつな喉の痛み、そして発熱で、かならず寝込んで来た人間だ。微熱が続き、いつまでもすっきりしないため、3~4日分頂くかぜ薬と抗生物質を飲みきったあと、「先生、治りません。もう少し違う薬は・・・」「抗生物質は効いてるはずですがねぇ・・・」というようなやり取りが、内科医との間に起こるのが典型的なパターンだ。完治まで10日ほどで掛かることが多い。
ところが“今年”、あるいは“この冬”はどうもおかしい。(別に困ることでは無く、むしろ喜ばしいことかも知れないのだが)カゼをひかない。なぜ、カゼをひかないのだろうか。
“湿度”のもんだいなのか。勧められて使い始めて、今では手放せなくなった“ネックウォーマー”を寝るときも基本的には外さないからか。それとも、牧師20年目にして、ストレスを感じない生き方を身につけて(そんなこと、あるはずがありませんが)、日々、ノンキな暮らしを送っているからだろうか。あるいはまた、本当の馬鹿になれたのかしら。
今日の答え。むつかしい言葉は必要ありません。今の時点で浮かび上がってくるわたしの自然な結論は、「稚内が合っているからじゃないの」ということかも知れない。何と有難いことよ。
最近、通じるようになったと思うことが不思議なことに連鎖的に、チラチラと見えたり感じられる。感謝だなと思う。点が線になり、面になるのか。間もなく2年目の春である。
※追伸:
まだ、稚内の冬は完全に終わっていない様子なので、これから、発熱するかもしれません、でございます。