鎌倉在住の友人が居る。彼女は声楽家でもあり、同時に、とある教会の奏楽者で(たぶん)長年のキリスト者だ。
わたしがかつて奉仕していた新潟県の上越地方の教会の頃から、折々に、わたしたち夫婦を励ましてくれるありがたい存在。鎌倉は日本のおいしいお菓子のお店が集中している所なのか、いろんな風味豊かな隠れた銘菓を季節を考えながら送ってくれる。大変これも有難い。Thank you. これからもよろしく(o^-')b
また、稚内の厳しい寒さを、風邪一つひかないで乗り越えられそうなのは(まだまだ油断大敵だが)、実は、彼女のおかげと思う。というのは、あったかく冬を過ごすためにと、手作りのネックウォーマーがあるから、と言って送ってくれたのはこの人だった。
喉は、歌を歌う者にとっては一番たいせつな楽器の一部なのです、というような信念を持っていることを教えてもらったこともある。
香辛料などは控えめか取らないと言われていたと思う。また、朝の讃美のためには早朝に布団から出てウォーミングアップするのは当たり前。当然、そのためには早く休む。それに合わせて夕食も早めに、ということを何十年も続けて来られたとのこと。
さすが、プロとはそういうものかと教えられる事が時々ある。とは言え、彼女も人の
子。適当な面もあって大いにほほえましい人なのだが。
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ところが、彼女の耳を、完全に騙してしまう事件が発生(*^。^*)してしまった。もしかすると、彼女のプライドを大きく傷つけてしまった大事件か、とも思うのだが、信頼しているので、構わず、話を続けよう。
いろいろな偶然が重なってと思うし、説明するのも無理なこともあるような気がするので、話は飛ぶが、鎌倉の友人は、稚内教会の奏楽者のことを熱烈応援してくれているのだ。楽譜の提供をしてくれたりもするし、CDを送ってくれて、渡して下さいということもある。
一ヶ月ほど前から、稚内教会の礼拝メッセージブログ(http://www.voiceblog.jp/mikotoba/)の方で、考えるところがあり、説教後の讃美と後奏なども一緒にupしている、つい先頃、3月3日の礼拝説教後のオルガンの音を聴いて、以下の感想をさっそく送ってきてくれていたのだ。
少し裏の事情を記しておこう。3月3日は、北海道の東部や北部に襲いかかった猛吹雪の影響で、この1年弱の間、奏楽を進んで担当して下さるようになった、保育園に勤務するRさんが奉仕予定だった。ところが、折しもの吹雪の影響で、彼女は日曜日の朝も、家の外に出ることが出来なくなり、急きょ「ヒムプレーヤー」を、妻が奏でる?ことになったのだった。
声楽家の友は、この日が、Rさんの担当の日、と思い込んで聴いてくれていた。3月4日(月)の朝、こんなメールが届いていたのだった。
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(抜粋、編集済み)
森先生・・・Rさんの奏楽を聞いてビックリしました。格段の進歩です!! ・・・先日、ご自身で疑問に思われ、また質問をして下さった事柄を素直に受け入れ、またかなり勉強されたのだと思います。讃美歌第2編58番の「いかなればきみはかく」 を伺っていて、すぐに判りました。(※“Rさん”と“鎌倉の友”は直接話をしている。)
きれいな四声の音楽が出来上がっていて、ソプラノのパートが、際立って聞こえるようになりました。「あいしたもうや」の後、テノールだけが動く経過音も正確に、キレイに入っています。この音を聞いて、ブレスをしますから、会衆も「しるをえず」が難しい3拍子であっても正しく歌うことが出来ています。会衆の「育ち」を感じる所です。
頌栄(27番の「父・子・聖霊」)も同様にきれいです。難しい4分の6拍子が、会衆に惑わされずにカウントされているのでロングトーンの後「栄と力」「とこしえ」が、乱れることなく歌うことが出来ています。しっとりとして、素敵です。
応答唱(「アーメン三唱」)もだらけずに(以外に難しいです)正確に弾かれています。休符の入れ方が、とても上手です。曲が終わることで、礼拝の終了を知らせる音楽になっています。最後まで気を緩めることなく、弾ききっていらっしゃいます。
前回にも増して、(Rさんが)沢山勉強されたことがうかがえて、また努力の成果がきちんと現れています。ずいぶん心を砕いて、練習されたのではないでしょうか? 素直な心で聞き、細かいことに気持ちと時間を費やすことが出来、実践できる。見習わなくてはいけませんね。鍵盤楽器を弾かれることではなく、Rさんが持っていらっしゃる素直な心が一番の賜物だと思います。素晴らしいですね!!
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わたしは、鎌倉の友人に、これはヒムプレーヤーだから、と伝えることもしていなかったので、メールを読んで、色んな意味でびっくりしてしまった。もちろん、申し訳ない気持ちも抱きつつ。
笑い話にもなる今回のこと。が、少し時間が経ってからふと思った。そして、わたしからの「実は昨日の奏楽はRさんではなく、ヒムプレーヤーだったんですよ。・・・・奏楽はオルガンの横に座って妻が・・・」というような内容のわたしからのお詫びのメールに対して、応答する形での便りを頂いてから、改めて思ったのだ。
ヒムプレーヤー、恐るべし。使い方によっては、相当な力をもっているのでは、と。彼女は、数時間後に次のようなメールを再び送ってきていた。
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(メール抜粋)
私が知っているヒムプレーヤーは、音質が違います????? 最近のでしょうか?? オルガニストの、音質(弾き方そっくりに弾いています)ビックリ?? 機械は、侮れないデス・・・。
昨日は私の耳が可笑しかった?? 寝ぼけた頭で聞くのは、いかんですね。ダイナミックス(強弱)が付いていたのは、機械?美樹さん?美樹さんのヒムプレーヤーの腕を褒めなくては??? (大目玉ならぬ)雪の大玉?が飛んで来た様です。いゃあ・・・参りました!!
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ヒムプレーヤーは最新型ではない。たぶん10年以上前のもの。ただ、妻は、わたしがかつて兼務していた教会で、オルガニストが居なくなってから、4年近くずっと、奏楽者として?ヒムプレーヤーを奏で続けて来た人だ。
“Hymnさん”(人格を持つ存在として以下続けます)を操る人として、日本中で10本の指に入るのではないか、と思う。本当に。だてにボタンを押し続けて来た人ではない。
稚内教会に赴任して間もなく、外の葬儀式場で会員のご家族を見送る葬儀に仕えさせて頂いたが、その時の奏楽も“Hymnさん”だった。そして幾人もの方から、「よかった」「ヒムプレーヤーがあれば大丈夫」との声を掛けられた。
実の所、“Hymnさん”は誰でも簡単には扱えない部分がある。速さの調整、段取り、音量、そして司式者や牧師とのアウンの呼吸等々。熟練まで努力が必要である。
日本各地の小規模教会にとって、奏楽者が居ない、オルガンを弾ける人がいない、新しい讃美歌が分からない、等という悩みはゴロゴロしていると思う。そして、多くの教会で“Hymnさん”は、我ら小規模教会を、陰ながら支えてくれているのだ。
生のオルガンの音や息遣いと比較することなどおこがましいし、そんな必要はない。けれど、この度の、ひとつの、敢えて言うならば、プロの音楽家を完全に陥れてしまった“Hymnさん”さんの実力は、スンバラシイということではないかと思うのだ。end