稚内に初めてやって来たのは、ほぼ一年ほど前のこと。いわゆる、お見合い説教を、ということで、福岡からやって来た。
当時、稚内教会の牧会をされていた柳幸三郎先生から、金曜日の昼前頃、ある教会の祈祷会に出席していたところ、電話が入った。
「天候があまりおもわしくない。吹雪という予報が出ている。稚内入りするのに際して、交通手段を考えなければいけないこともあると思いますので、よろしくお願いします」というようなことが伝わって来たのだった。
つまり、土曜日に、東京経由で稚内に飛行機で飛ぼうと思っていたわたしに、飛行機が飛ばない、あるいは、着陸できず、札幌や旭川で下りることになったり、運休も考えられるかも知れないですよ、ということだった。
わたしは慌てた。そして、パソコンに向かい、その日のうちに北海道に入ることは出来ないかと調べはじめた。すると、夕方の名古屋空港経由の便に乗り込めば、深夜近くに札幌に入れることを確認。すぐに切符の手配をし、仕事に出ていた妻に、「きょうのうちに北海道に向かうから」と伝えて、大慌てで福岡空港に向かったのだった。
無事に千歳空港に到着し、翌日の土曜日の朝、JR宗谷線の稚内行きのスーパー宗谷に乗り込んで稚内にやって来れたのだった。あれからちょうど一年が経った。
もしも、同じパターンで、今年、つまりきのうの土曜日、稚内に向かおうとしていたら、猛吹雪のため、JRにしてもバスにしても、稚内入りは不可能となっていた。
昨日の土曜日、日本海側を襲った吹雪はかなりのパワーを持つものだったようで、町内のお友だちから「今回の吹雪は、冬の暮らしに慣れた市民にとっても大変なものだと思いますよ」とのメールを頂いた。
また、他の方たちの話を聞いていても(わたしには吹雪の中の生活を経験をしていないので想像するしかないのだけれど)稚内でも久しぶりの強い吹雪だったようだ。NHKのニュースでも稚内の町が映し出されているほどだった。
きょう、礼拝が終わって、集会室でお昼を頂く頃に、会員のご婦人がお話しをしていたのだが、あーそれって、極意かなと感じた言葉を耳にした。
「雪かきするのも、戦ったらだめよ-。力を入れるのではなく、軽やかにやらなきゃ。肩に力を入れるのではなく、体操するような気持ちで」というような事をお話しておられたのだった。福音だった。
沖縄には沖縄時間というのがあって、時間通りに集合というのはあり得ない位の感覚があると聞くし、沖縄に出かけた時にもそれを感じたことがあった。
稚内時間というのは、まだ、聞いたことがないけれど、自然の猛威とは戦わないで、待つときはじーっと静かに、時がくるのを待つことができる“ゆるさ”が、必要なような感じが、少し見えてきた。
漁師さんの多い稚内と聞いていて、地元の新聞で、市場にあがった魚の情報なども目に入ってくるのだが、どうも、荒れる冬の海では、海に出られる日の方が少ないような感じだ。つまり、冬はじーっと、網の繕いをしたりしながら過ごすか、他のことに時間を充てておられるのではないだろうか。
あくせく、せっかちに動いてしまうことが多いわたしだが、ふっと力を抜いて、なすがままにというのか、変えられないこととむやみに戦わないで、しかも、向き合うときは力を抜いて。そんな感じが、楽に暮らしていく近道かも知れない。
稚内の冬はまだまだこれからが本番だろう。でも、この気づきは、雪の大さや重さとは裏腹に、何か少しこころが軽くなり、嬉しくなる今宵なのだった。end
*・・・前回の年頭修養会関連の続きを書く余力はありませんでした。どうもすみません。