稚内に暮らし始めて半年。幾度となく、「稚内は風が強いから」という言葉を耳にしてきた。けれども、意外なほどに風が強くて困る日はなく、はて、一体いつ頃のことを皆さん言っているのかと思っていた。
が、ここ数日、突然風が強くなり始めて紅葉していた葉っぱは見事に落下。あっという間に濡れ落ち葉になり果ててしまった。かつて、上越の高田という町で暮らして居たとき、高田公園の見事に色付いた桜や銀杏の落ち葉拾いを楽しんだように、当地でもこれから少し楽しもうかと思っていたが、強い風と雨と共に、ほぼ完璧に地面にへばり付いてしまった。
今、このブログを記しているのは日曜日の夜なのだが、夕方お訪ねしたご夫妻のお宅で「これからの天気は、ずーーっとこんな感じですよ」と聞いた。ご夫妻は北海道外から引っ越して来られて10年程の方たちで、お話しを聞いている中で、最近訪れたという層雲峡の紅葉の美しい写真などをたくさん見せて下さったのだが、実はこれは、一生懸命に努力して探された、北海道の秋の数少ない光景だったのだと気が付いた。
北海道での暮らしが始まるまで、わたしは(多分妻も)勝手な思い込みをしていたのだが、秋の北海道はさぞかし紅葉が美しく、どこに出かけても、紅葉を楽しめるものだと思い込んでいた。しかし実際はそうではない。「春、秋、冬、真冬」がこの辺りの季候だとお聴きしていたが、実際は“秋はほんの一瞬”というのが現実だった。
そんな折り、妻が「お友だちからこんなメールが来たよ」とメールを転送してくれた。欧州の厳しい冬を経験されたその方の言葉を見ると、なるほど、と感じることが幾つもある。冬の心構えをしなければならない。少し引用してみよう。
「北国の冬がきついと思うのは、寒さのせいではなく(それなら、元気を出せば耐えられる)、暗さのせいです。太陽の光らしい暖かい光がなくなって、昼間がひどく短く、昼前にやっと明るくなりはじめたと思ったら、もう夕暮れになっている。それも、辛うじて、たそがれの日差しみたいなのが朝から夕まで続くだけ。ヨーロッパ中部で(北緯50度)、七回越冬しましたが、最初の二回を除いて(その時は金がなかった)、残りの四回は、冬の終り頃にはともかく太陽の光が恋しくてたまらなくなって、復活祭の休暇にはたいていイタリアまで行く旅行を計画していました(実現したのは三回だけですが)。ともかく南の方に行って、少しでも太陽の光を拝みたかった。」
わたしは陽射し・日光アレルギーの傾向があり、ここ数年、日傘を差して歩くことが多かった。さもないとあっという間に偏頭痛が遅いかかって来るからだ。さて、こんなわたしでも、太陽が恋しくなるのか。それともいい感じで冬を過ごせるのか。今はまだわからない。季候にまつわる報告は、これからもブログに時々記すことになりそうだ。
そして最後にもうひと言。野の花を楽しみに過ごすことが出来た日々は、来春までお預けとなることを改めて身に浸みて感じるこの頃でもある。教会の礼拝堂に捧げられてきた花の美しさを、本当に感謝する思いの深さを教えられた半年でもあった。めぐみだと思っています。