「おばんでございます」。会員のご婦人のお宅に夜電話をすると、地元育ちの父さんがこう言って電話に出られる。わたしも「おばんでございます」と応える。なんとも、たのしい。
稚内に越してきて半年が過ぎた。朝、いつものように『ローズンゲン・日々の聖句』を読んだときにそのことを感じた。
稚内教会は小さな教会だと思う。だから時間がたっぷりあって、のんびり牧会しているのか、と言えばそうじゃないのが不思議だ。「なんだか、以前の5倍くらい、みんなの話を聴いているねぇ」という会話を妻と先日も交わした。
彼女も、「わたし、これでも、毎日忙しいんだから」と言う。わたしは毎日、昼ご飯を食べに教会から戻ってくるので、朝は軽いものであるにしても、三食 食べさせて頂き、洗い物もお任せというのは、ハードワークのようでもある。とは言っても、台所に立って、あれこれとやり繰りしながらの毎日は、傍らから見ていても楽しげである。一安心だ。
これまた、妻と話をするのだが、わたしたち、毎日少しずつ、頂き物をしているような気がする。とても有り難く、助けられている。
きょうは保育園の仕事をされている信徒さんから、園児と一緒に出掛けた芋掘りのジャガイモ数個を頂いた。昨日は勇知というジャガイモが美味しい所で焼かれたパン2個。その前日は、幼稚園の先生から欠席園児の牛乳パックを5本。そして、その前の日は、秋刀魚4匹。その前は、ジンギスカンとハンバーグ、そして焼き芋1個。あ、稚内特産のほっけ数匹と新米6合も訪問の際に頂いた。酪農家のお宅におじゃますると、帰りに絞りたての牛乳を大きなボトルに2本がお土産。
これは、聖書的に言うならば、天からのマナ以外の何ものでもないような気がする。上に書き漏らしているものもあるはずだ。わたしも届けたのにという方が居られたら、ご免なさい。悪意は全くありません。
最近よく食べるのは、秋刀魚の塩焼きである。九州に居たときも、新潟に居たときも食べたはず。でも、なぜか、美味しい。今日食べてもまた食べてもいいかな、という気持ちに、多分、明日の昼頃にはなっているような気がする。旬の食材の持つものの旨さはすごい、と改めて感じている。
日本のどこに暮らして居ても旬の食べ物はあるに違いないのだけれど、稚内の美味しさは格別。そういう感じなのだ。
稚内を離れ札幌をはじめ、都市部に暮らす多くの方が居られると聞く。市役所に働いているような方でもお子さんが都市部で生活していると、定年後に引越をされるそうだ。
教会の方たちの親しい方々がお付き合いを続けていて、よく聞く言葉があるという。「稚内が恋しい」「稚内を忘れられない」と。皆さん食べ物が恋しいのではなく、稚内LOVEが体に染みついているのだ。と思う。
このことについては、いずれまた、と思う。程よい小ささのこの町稚内が、みんな好きなのだ。
牧師館の工事に来られる幾人かの業者さんがふとした瞬間に「わっかない いいところだもんなぁ-」と呟かれたりする。するともうひと方が「そうだぁー」と言ってにんまりする。
それを聞いているわたしは今、幸せだなぁと思いながら秋を迎えている。これから初めての稚内の冬に向かう。