9月の最初の日曜日の朝、牧師室のメールをチェックしてみると、教会のHPのポストに一通のメールが届いていた。はて、誰からだろうと思いながら開いてみると、久しぶりに見るNからの便り。持ちつ持たれつ。助けられることも多くあった友からのものだった。
今、ある病気のために、心不全で倒れてしまって自宅で療養中だという。「トレッチャーに乗せられ、死ぬかも知れないと思った時、ご無沙汰してしまったこと、約束を守れなかったことがあったことなど、心底悔やまれた」とある。そして、大切なひとり息子のJ君の結婚式と自分の葬儀、お願いしているんだから、忘れないで、と記されていた。
よかった。生きて居てくれて。先生はだいじょうぶ?と言ってくれている。だいじょうぶ。いつか稚内に遊びにお出でよ、とひとまず小さく返信。
この日の午後、教会の役員会があった。そこでは、愛唱賛美歌や好きなみ言葉のアンケートをとろうという話が動き始めた。いや、それだけでなく、お葬式をというような時に、必要な思いを、伝えておくものを準備した方がよいのでは、という声が大きくなって、じゃあ、次の役員会までに少し準備を進めましょうということになった。
神さまは不思議だなぁ、と思うときに、生きて働いてくださることが、これまでもしばしばあった。偶然じゃない。大切な友からのメールを日曜日の夜改めて読み直して、そんなことがあたまの片隅をよぎった。
葬式を僕が司式するには、年下の友よりも長生きしなさいということだ。元気で居なきゃならない目標がひとつ出来た。遠くの友からの手紙をしみじみ有り難く思った。そして、Nにも、愛唱讃美歌と好きなみ言葉、人生の節目となった出来事など箇条書きにして、送ってくるように伝えなければならない。