8月12日は久しぶりに礼拝出席者が20名を超えて、稚内教会としてはにぎやかな日曜日となった。
この日は聖徒の日・召天者記念礼拝で、富良野に在住の会員のA姉さんの姿もあった。礼拝が初めてのお嬢さんも連れて来てくださった。Aさんは、平和の挨拶を交わした時だったか、森牧師はもっとゴツイ人だと思っていたら違った・・・と言っておられた。電話で二回、言葉を交わしただけだったが、俺そんなおっさん声だったか、と改めて思わされた次第。
札幌からは、おばさまが稚内教会会員だったという関係で、はるばる札幌からひとり自動車を運手されてお出で下さったご婦人Sさんも居られた。この日、一番たくさんお話したのではないだろうか。三浦綾子さんの塩狩峠の主人公に関係する古びた「帳面」を見せて下さったりもした。8年か7年前からとおっしゃっただろうか、悪性の乳がんを患い、紆余曲折を経て今のひと日をひと日を大切にお過ごしだということも分かった。午後の墓前礼拝までご一緒して下さり、ほんとうに有り難く思った。礼拝を守れたことを真に喜んで居られることが伝わって来て、とにかく励まされた。再会をと祈る。
朝の礼拝、前から2番目の席には、高一と高三の姉妹の姿があった。夏休みで札幌から、小学校時代を過ごした稚内に帰省していたのだった。二人のDNAには既に教会がインプットされているのを感じた。
前日の土曜日の午後にも、祖母のようこさんに連れられてお話をしていた二人。稚内教会の記念すべき、こども祝福=こどもメッセージスタートとなったこの朝、彼女たちよりも小さな子どもの姿は見当たらないので、二人に犠牲となってもらって最前列に移動を願い、数分間のお話をした。我らの国籍は天にあり、と。
60年後、まだ80歳前の二人は、おそらく、元気で居てくれるだろう。わたしも含めて、後ろに座って見守るたくさんのおじさん、おばさんたちは60年後はないよ、だから、後は頼んだねと伝えた。そして、やや強引にうなずいてもらった。その後、手を置いて祝福。
わたしの視界にはなぜか入らなかったが、祖父母の、ようこさんとしんじさんがその姿を見ていた(はずだ)。新たな希望がわたしたちには与えられたように感じた、めぐみの朝だった。他にも多くのドラマが感じられた日曜日に感謝。