最近の稚内教会の月に一度の定例役員会。
去年よりも、たぶん、一時間位は会議の時間が短くなってきたような気がする。昨年は一年目。いろいろな行事にどんな風に取り組むにしても、これまでどんな形で取り組んできたのかを確認しながらだったので、当然、時間が掛かった。新しいことにもチャレンジすることも多かった。
今年は、去年はこんな風にしたけれど、どうしますかねぇ、ということが増えて来て、サッサッと進むことも多くなってきた。
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9月1日の定例役員会。
いつもと違う議題がテーブルに乗った。その報告が、稚内教会の『週報』に載った。週報に役員会報告の要点をまとめているのはわたしではあるが。以下抜粋してみる。
(8)平和憲法9条を守る運動の呼び掛け人に関する件
8月下旬、市内有志からの依頼を森牧師個人が受け、森牧師は聖書信仰に立ちそれに応えたいと報告。牧師の願いに対して教会役員会として同意、支持する。教会には様々な考えを持つ方々が集われることに丁寧に配慮する。
というのが、教会の皆さんへの文字の上での報告だった。
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わたしが自覚的なキリスト教信仰へと導かれ、育てて頂いた教会、つまり、母教会は堅実な伝道牧会がなされている教会で、母なる教会での養いというのは、やはり今のわたしにはとても大きな影響を与えている。
たぶん、母教会ではこのような議事が扱われることはないだろう。で、わたしも、牧師をある分類に分けるのであれば、このような運動に名を連ねるようなタイプの人間では基本的にはないと思う。
それは、前述の母教会で訓練を受けた信仰のスタイルと深く結び付いている。
デモや集会があれば、一番端っことか後ろとかに連なっているのが精一杯という人間なのだ。
が、稚内という人口3万数千人の町では、人任せにしていることがどうも出来ない、というかしてはいられない状況なのだと思わされることになってきた。
この一年余りのこの国を取り巻く状況は雲行きが明らかに怪しいもので、8月の下旬近く、わたしの所に、「〈憲法9条〉を守る意見広告を稚内でも出したいと思うのですが、(日本キリスト教団 稚内教会牧師である)森先生にも、顔写真入りでご協力頂けないでしょうか」という打診があった。
お二人は、本当に温厚・温和なおじさまたちで、何か、社会運動を振りかざしてやってます、という風な方では決してない。もちろん、奥深い所には、筋金が入っているのかも知れないけれど、力を振りかざすというようなことは微塵も感じられなかった。
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稚内で平和憲法9条を守ろうという意見広告の呼び掛け人に名を連ねて頂けないだろうか、というお願いを受けたその時のわたし。
「元来自分は、そういうタイプの人間ではございません。教会にはこれこれ、こういうような事情もあり、本当に様々な立場やお考えの方が御出でになります・・・。ですから配慮が必要になります。戦争の放棄には賛成です。しかし、今この場で、わかりましたとはお答えできないのです・・・・。少し時間を頂けますか」と語ったものだった。
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ところが、小さな稚内という町で、平和をしっかりと求め生きようとする時に、人任せにしていていいのか、という自問する声が心の中にジワリジワリと湧き上がってくる。
太平洋戦争の時代に弾圧を受けた牧師たちが獄死して行ったような状況が直ちに襲いかかって来ることはないにしても、中途半端な覚悟ではいかんのではないか。
教会の方たちは、ご自分の心のうちに確かな思いを明確に持ちつつも、なかなかご自分の立場を明確に表明できない事情の中に生きている。
ならば、せめて、わたしは、ハッキリとした覚悟を持って歩み出さなければならないのでは、という所に至ったのだった。
「牢獄に入れられるようなことがありましたら、どうぞ、皆さん。おにぎりの一個でも差し入れてくださいね」。
そんな言葉をわたしは口にしつつ、先の議題は、役員会に同意して頂いたというわけだ。
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少し前に、今年71歳になる方とこのことに関連することでお話をする時間が合った。
戦後68年目であることを考えると、71歳という年齢は、現在の日本国憲法と共にピッタリ重ねられる道を生きてきた方なのだなぁと、お話を聞いていて気が付いた。
その方は、自分は憲法9条を学校で諳記させられた世代なのだと言いながら、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し・・・・永久にこれを放棄する」とそらんじて下さった。
さらに「憲法はその〈前文〉にこそ、重要な鍵があるんですよ」とお話下さり、お別れした日の夜、もう一度、そこのところを、誠実な言葉で念押しして下さる電話も頂いた。ありがたいことだ。
確かにそこには、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。
わたしは、まことに不勉強で、それを知らなかった。
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わたしは急には変われないだろう。
でも、これから先の歩みの中で、自分としてはたいせつな一歩を踏み出したように感じている。
我が家で読んでいる新聞も、このブログでもいつだったか記したのだが、〈朝日〉から〈毎日〉に数ヶ月前に変えてみた。大して変わらないだろうと最初は思っていた。しかし、最近、〈毎日〉の立っている視点に親しみを抱きつつある。
それが何故なのかは、まだ的確に言葉には出来ない。だが、ここに記してみたことと無関係ではないはず。妻は日曜の夜、「ねぇねぇ、わたしはどうしたらいいとっ(博多弁)?」と口にしていた。end