昔から、《 米、味噌、醤油 》と言えば、生きていくために欠かすことの出来ないものだろう。我が家の場合、その他パンも、小麦粉と天然酵母で食パンをbakeryで焼くので、必需品かも知れない。
昨晩、日曜日の夜にしては珍しいお客さまが教会にあった。お見送りし、7時過ぎに牧師館に戻った。すると、妻が、今日起こったことをあれこれ報告し始めたのだった。
彼女はさっそく(待ち兼ねていたように)「あー、わたし-、びっくりしたーっ!」と言う。
そこでわたしも「なにが」と聞き始めた。
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「あぁあっ、とうとう味噌が無くなった、と思っとったら、○さんがこれどうぞって、味噌を持って来てくれたとよーっ!」
「うんうん」
「無農薬の紅茶も無くなったけん、インターネットで取り寄せんといかんって、思っとったったい(博多弁です)」
「ほーっ」
「そしたらさぁ、○○さんが、うちがいつも買うのと同じ紅茶を、今日もって来てくれたとよー。不思議ー。この前は、お米が無くなった時に、○さんから届いたやろー」と真顔で言う。
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これはただの偶然かっ?
確かに偶然という見方もあるのだが、やはり、誰かが色々お見通しで、何かの徴として気付かせてくれているのではないか、と思わずにはおれない。
だから、わたしはこう言ったのだった。
「ほーらねっ、やっぱり神さまおるやろぅ!」と。
今回の“味噌”と“紅茶”の一件。
買うお金も底をついてしまって、涙ながらに二人で正座して祈っていたら、というわけではない。
けれど、不思議な形で、我が家に姿を顕す神さまに導かれていることをこんな時にも感じるのだった。かたじけないことであります。end